公開:2001/12/20
ディスカッション 2/2
| 大喜戸 | どうもさっきからひとりでしゃべってますけども、実はこの間の例のセミナー(注:2001年5月に開催されたSFセミナーのこと。瀬名が講演した)以降、論争が発生しましたけど、ウェブで。あれでうちにかかってくる電話が何本か(笑)。僕がつくってるSFのシリーズは、わりとライト系にわざとつくっているように見せかけているので、高校生とか中学生だとか夜中に電話かけてきて、SFって書いてあるんですけど、これって読んでていじめられませんかって。(会場で笑いが漏れる)笑ってるでしょう、でもけっこうシャレじゃないんですよ、これ。 |
| 瀬名 | それはどこのサイトを見たっていってました? |
| 大喜戸 | 結局、最近ネット関係はみんな見てますから……。 |
| 瀬名 | うーん、そうなんですよね。僕も電撃文庫の人に聞いて驚いたんですけど、読者の四割がネット環境を持っているといってました。 |
| 大喜戸 | そうなんです。結局SF読もうと思ったときに、SF、書店で見て買いたいと思ったときに、問題は楽しいかどうかわからないから、ネットで調べるんですよ。で、引っかかるんですよ。SFってキーワードで、こう、例えばここふた月期間くらいというと、例の論争がどかどか載ってるわけですね(笑)。これがSFじゃないとか。それを読んだ子がすごい恐怖するんですよ。論争が起きてると。 |
| 野尻 | 申し訳ありません(笑)。 |
| 瀬名 | なるほど。 |
| 大喜戸 | それって読んでもいじめられませんかとか、読んだことによって後ろから殴られたりしませんかとか、批評書いても大丈夫ですかとか、かなり切実で、読みたいんだけど大丈夫? という……。怖くありませんよっていうんですけど、私この商売八年ぐらいやってて、SFやりたくてあちこち説得して回ったんですが、とにかくSFファンの「これがSFじゃない」っていういい方は無茶苦茶、客減らしてます。 |
| 野田 | うーん。 |
| 大喜戸 | とくにいちばん多いのが、SF研に入ってきた新入生、大学の。入ってきて新歓(コンパ)でどんなの読んでるかって聞かれます。で、答えたやつ(作品)に対して先輩方がぶん殴るという(笑)。 |
| 瀬名 | 「それはSFじゃない」というやつですね。 |
| 大喜戸 | 「『グイン・サーガ』が好きです」っていうと、「そんなもん読みやがって」と(爆笑)。そこから始まるわけですよ。ホーガンが好きですっていうと、ホーガン、ケッとなって(笑)、「『ファイブスター』? あれはクズだ」(笑)。笑ってますよね、皆さん。 |
| 瀬名 | え、でも、笑うっていうことはある程度、皆さんやっぱりそういう共通経験があるということですね。 |
| 大喜戸 | それをされた子というのは、あ、そういうSFジャンルは恐いから、絶対読むのやめようと思う。 |
| 野田 | そういう大学SF研いまだにあるんですか。 |
| 瀬名 | はい、隣の方どうぞ。 |
| 会場 | 実は私大学一年生のとき、しょっぱなにそれくらってSF研やめたという経験があって(笑)。いや、別にSF読むのをやめたわけじゃないですけど、実はあまりに非常にかたまりすぎてるというか、ジャンルがかたまりすぎてて、好きなもの読めなくなるんじゃないかというような恐怖感が先に立っちゃって、SF研やめたという経験があるんですけど。 |
| 瀬名 | 逆にいうと何を読めばいいんですか、そういう場合。SF研に入ったら、何を読んでるとなにもいわれないんですか(笑)。 |
| 会場 | ジュール・ヴェルヌですね(笑)。 |
| 大喜戸 | クラークとかハインライン、それって先輩によってですね、流派があるんですよ、やっぱり(笑)。まず目の前にドカッと本を置かれて、先輩五人いるとあっという間に本を五〇冊も読まされるでしょう。これを読んで話をしろというようにみえますね。 |
| 野尻 | 翻訳家の古沢嘉通さんが若い頃、「好きな作家はハインラインです」といったら先輩にせせら笑われて(笑)。その先輩が水鏡子(すいきょうし)さんだった(爆笑)。(野尻注:ハインラインではなくアシモフでした。お詫びして訂正します) |
| 瀬名 | じゃあちょっとそちらのほうにもどうぞ。 |
| 野尻 | あ、いた(苦笑)。 |
| 会場 | =水鏡子氏 いま名前が出ました水鏡子でございます。若い頃というのはね、かなり理想が高かったということですね(爆笑)。百冊の本を読めば、そのうち一冊でも傑作があれば、それを探すために本を読むみたいな感覚がちょっとあって、かなり偏狭なところがあって、年とともにだんだん丸くなっていくと思うんですけれども(笑)、だから積極的な若い頃に会った人に対しては、かなり「シルヴァーバーグ? ケッ」とかいうふうなとこまでいってましたね。ラヴクラフトとかそこらへんも含めて。 ただひとつはね、あの頃のSFに対してはけっこう、こちらの側が被害者意識みたいなものがありまして、ちょっと出来のいい映画とか本が出たら、単なるSFではないという、そういういい回しがメジャーの中でしょっちゅう使われてたんだけども、そのなかで単なるSFではないって、SFはどういうもんだと思ってるんだというような空気のなかで、SFとは何かみたいな、福島正実という人がかなり展開していて、それをテレポート(注:「SFマガジン」誌の読者投稿欄)とかそこらへんで、そういう意見に対して合わすようなかたちで、ちょっと文化としてあったと思うんですね。 で、実際、いまだったら、例えば普通の小説のなかに人造人間の嫁さんが出てきたら、そんなものは全部を含めてSFだといって、それ作品の数は微々たるものだという時代のなかで、何でもかんでもとにかくSFに取り込むものはないだろうかという感じできた時代というのは、一九六〇年代から七〇年代ぐらいまではまだあったと思うんですね。 いまでもやっぱり僕はその当時、SFとは何かみたいな考え方でやってるんで、この本がSFであるかないかというような考え方というのは、やっぱりSF的なものを読んでるかどうか、時代的なところが。ただその中で例えば今年読んだなかで、いまのところ僕にとっていちばんの傑作は、『鳥類学者のファンタジア』(集英社)。 |
| 瀬名 | 奥泉光さんの。 |
| 水鏡子 | あれなんかはSF的な、前の本もそうだったんですけども、SF的なものを期待して、たぶんSFにはならないだろうなあと思って、やっぱり読んでみて、ああ、SFとはいえないなという判断を下すんですけれども、それはSFではないなと自分が感じるものをSFの論理で切ってしまっちゃいけないんじゃないか。SFの論理で切れるものであれば、むしろSF的な考えのなかで判断していくべきだろうけれども、そうではないものについてはたとえSFという名前がついていても、これはSFではないという部分からまとめていくべきじゃないかと考えるものですから……。 |
| 野尻 | それはいわゆる「SFの評価軸を適用すべきではない」という意味での「SFじゃない」という……。 |
| 水鏡子 | だから傑作であるとかないとか、たぶん(映画)『千と千尋(の神隠し)』なんかでも、僕はとくにあの前半部というのはイマジネーションなんかもすごいし、それでもあれはやっぱりSFじゃないだろう。でもSFの境界領域の収穫としてのかたちのひとつだとかというふうに捉えてる。だから必ずしもSFであるとかないとかいうのと、傑作であるとかないとかいうのとは全然別な話だと思う。ただSFとして読むことを期待……、たぶん菊池誠(注:SF評論家、翻訳家、物理学者)とかね、あのあたりがSFであるというかたちで読もうと期待を持たされて読んだときに、SFとしての手続きとして若干、本人としては納得がいかなかったみたいな考え方じゃないのかなあとは思う。だから変ないい方なんですけれども、京極夏彦の京極堂のシリーズなんかだと、僕SFとして評価してるのは『魍魎の匣』(講談社文庫)なんですけれども、SFのエッセンスみたいなものがいちばん出てるのは、むしろ『鉄鼠の檻』(講談社文庫)の禅宗のところ、あれはどこをどう見てもSFじゃないんです。ただエッセンスからいうとSFにいちばん近いものである、そういうね。 だからSF的であるとかなんとかいうのは、かなりそれぞれ個人々々のSFとは何かと考えてるなかで、けっこう区分けしていって自分の庭をきっちりさせるという作業のなかで出てくるもんだから、ひとりひとりの人間の考え方としてはやっぱり違ってくると思うんです。 ただ、昔の福島正実とか、伊藤(典夫)、浅倉(久志)、そこらへんのジュディス・メリル(注:カナダのSF評論家、アンソロジスト。主著に『SFに何ができるか』がある)とか、そういう時代に読んできた人間というのはかなり、出てる本自体をかなりみんな同じように読んでて、同じような意見をまとめてきてた時代の人間というのは、けっこうそのへんを堅苦しくなってしまってるのかなあとは思う。 |
| 瀬名 | ありがとうございます。 野尻さんのボードでは、SFであるかないかを探求していくのは、SFファンとして「道」のようなものだから、SFじゃないというなといわれてもなかなか難しいものがあるとありましたけど。 |
| 野尻 | 人前でいうべきかどうかというマナーの問題とはまたべつに、そういいたくなる内因的なところをいいたかったんですけど。でもやっぱりたしかに非常に迷惑だというのはわかります。 |
| 瀬名 | あと、ちょっと評論の話とからめていいますと、僕のところに今回来たメールの中で、ある作家の方が、日本SFの問題点として次の三つを挙げていらっしゃったんです。まずは比重としてコアなもの(SF内部で評価が高い)が多いということ、第二にSFだけでなくきちんと作品を読める信頼できる評論家が少ないこと、第三に売れているSFが一般の読書界でいっさい評価されないこと。一般読者にも見えやすいのが第二の問題だと思うんですね。SFを読む評論家の中でSF以外もちゃんと読んで、いろんなものを一緒に評論できる評論家がなかなか少ないんじゃないか。SFとしてどうかという評価軸だったら書ける評論家ってたくさんいるんですけど、SFだけじゃなくて、ほかの分野も含めてどうなのか。そのへんは野田さんはどう思われますか。 |
| 野田 | そうですね。例えばSFとファンタジーとか、SFと架空戦記ですとかいったような書評の方はたくさんいらっしゃいますよね。ただSFといわゆる文学と両方というと、たしかにそれを全部書評できる方はいるかどうかといわれると……。 |
| 瀬名 | メールをくれた方の意見とは違うかもしれないけど、僕の個人的な体験でいうと、例えば僕はモダンホラー作家としてデビューしてるわけですね。そのとき『パラサイト・イヴ』を評論してくれた人というのは、ホラー系の東雅夫さんもそうですけども、ミステリー系の方がけっこう評論してくれたんです。それこそハードボイルドが守備範囲の人とか、本格ミステリーやってる人なんかでも評論してくれたんです。 ところがだんだん『BRAIN VALLEY』を書き、『八月の博物館』を書くと、ミステリー評論家の人からは書いてもらえなくなってしまいました(笑)。最近はどこかで書評が載ると、僕の肩書というのはだいたいもうSF作家になってます。ホラー作家と書く評論家の人ってもうほとんどいないですね。 SF作家という認知になってしまった場合、もうフィールドが違うと思われて、もしかしたらミステリーの人から評論されなくなるのかなあと思って、僕はそれがすごく恐怖なんですね。 野尻さんはSFやヤングアダルトのなかでやっていらっしゃるんで、もしかしたら評論される方の顔はある程度見えているのかもしれない。でも、一般文芸みたいなところでやったりすると、誰が評論するかわからないところがあるんですが、だんだんSFというジャンルに来てしまうと、あれはSFだからSFの人にお願いとなる。朝日新聞に「新刊トリケラトプス」という書評コーナーがありまして、SFとか時代とかミステリーといったジャンルで分けて採点するんですね。そういうカテゴライズされた評論のほうに移っていっちゃう。それは僕は評論として退行のような気がして、だからほんとはSFをすごく読める人のなかで、もっと一般のページのところでちゃんとSFを語れる人がいるといいなあと思ってるんですけど。この会場に評論家の方が他にいらっしゃいましたら、何かご意見お伺いできれば……。 |
| 会場 | =喜多哲士氏 一応評論家という、評論したことのない評論家、「書評」の喜多(哲士)でございます。 僕の場合は一応、さっきちょっと野田さんがおっしゃってた架空戦記というジャンルになるわけなんですけども、僕自身はSFファン出身ですし、学生時代からずっとファンダムにいて、で、共通体験とかいろいろしてきながら……。「SFアドベンチャー」の書評が下ろされたあと、五年ほどはSFって読んでないんですよ。で、その間何を読んでいたかというと、司馬遼太郎とか海音寺潮五郎とか、時代物中心にかなりさまざまなジャンルですね。とくに野尻さんのおっしゃった人間というものに対して探求するタイプのもの。で、そのときに例えば(織田作之助の)『夫婦善哉』(講談社文芸文庫)ですとか、ああいったものを読んで非常に面白かったとかっていうようなものがあった上で、今度SFマガジンのほうでとりあえず書評するようなことに……。 これは僕個人なんですけども、ひとつは僕がやっているジャンルというのは伝奇アクションと架空戦記、まあ最近架空戦記はやってませんけども、これについてはSFというモノサシでは測れない、オカルトですから。オカルトでもSFファンの許容できるものをご紹介すると。こういうスタンスで一応切ってはいるんですけども、だけど基準が違うんですよね。だからSFファンとして面白いって支持されているようなものを私が酷評して、ちょっと意見が食い違ったりしてるとこもあったりしますし、だからそういう意味では、SFじゃないものをSF雑誌で評論するっていうのも難しい、というのが僕の感じなんですね、逆に。 で、最近は純日本SFというジャンルの中でやるんですけど、やっぱりどうしても伝奇的なものが中心になりますから、当然そうなりますとホラーとかぶってくる。それからオカルトとかぶってくる。そうなると、一般誌で評論するならばその視点で、というとおかしいですが、不特定多数の読者に対してそういう批評するわけですから、あまり気にしないでいいんですけども、「SFマガジン」ということになると、やはり「SFの読者」というのを意識しますね。 |
| 瀬名 | そのSFの読者というのは、ハードSFとか、普通のSFとかをごったにした、SFゾーンみたいのがあるわけですね。 |
| 喜多 | うん、そうですね。だから多分にハードSFとか普通のSFというふうには区切らないけれども、基本的には科学的な解決であるとか、その疑似理論でもいいんですけどね。そういった納得できるものを求めてる人に、そのときの質量どうなってんねんとかなんとかという、そういうような注文多く来るようなのを紹介しなければならないですから、そこらへん難しいんです。 |
| 瀬名 | 基準というお話で連想したんですが、僕がSFに対して持っている違和感について、これもまた別の作家の人からのメールをいただいて、なるほどなあと思ったことがあるんです。その方は最近、ある事情で旧ソ連のSF作家、イワン・エフレーモフを読み返したんだそうです。すると、僕らが読み慣れている英米のSFとはまったく独立した、完全にパラレルなSFだとわかったと。僕らが知っている日本や英米のSとは異なる歴史性の中で書かれている。エフレーモフが日本人で、いまああいう小説を書いたら、「これはSFじゃない」といわれたに違いないというんです。例えば映画とかでも、最近リバイバルした『不思議惑星キン・ザ・ザ』とかありますよね、ああいうのはハリウッドのSFとはまったく違った観点でつくられてる映画ですよね。その意見を読んで僕は人工生命を思い浮かべたんです。例えば人工生命の研究が見せるように、いろんなあり得たであろう生命体というのが考えられるんだけども、もしかしたらいろいろあり得たであろうSFの道ってあったんだろうなと。英米の基準からすれば旧ソ連のSFは外れちゃう。ただ旧ソ連ではそれをSFと呼んでたので、英米や日本でもそれをSFと呼ばざるを得ないし実際にそう呼んできた。でも、いまひょいとそれが日本で現れたら、SFとはきっと呼ばれないんじゃないかと。そういうふうにSFと呼ばれてなかったものや、あるいは僕なんかが書いてるようなやつというのは、もしかしたらそういうほかの系統に入ってしまっていて、そこらへんがSFと道筋が違っているので、理解が難しいんじゃないかなあ。 |
| 野尻 | イルカとイクチオサウルスみたいな感じですか、かなり似通ってるけど、平行線みたいな。 |
| 瀬名 | つまりSFって、ほんとはもっといろんな考え方で書けたのかもしれないんだけど、いまはもしかしたらひとつとかふたつくらいのSFの道しか残されてなくなっちゃったので、そのSFから外れちゃうとすごく違ったものに見えてしまう。逆にいまのSFの外側で書いている人たちはSFを切り捨てちゃうというところがあるのかなあとも思ったりしたんですけど。 |
| 野尻 | それはなんか痛いこといわれたなという気が……(笑)。いや、たしかにそうなんだよなあとは思うんですが。それはそうなんだけど、いわゆる本筋というのかな。われわれが本筋と思い込んでるものっていうのは、実はそんな偏狭なものではなくて、逆にいかにけつの穴が広いかという、表現が汚いですけど、いかに相対化を最大限にもっていくかという、そういうノウハウの蓄積というのがあるような気がするわけです。ジャンルというのは知識体系だと思いますので、だからこのジャンプの高さを最大限にするためのいろんな技法がいっぱい、この本道のなかにはあるんだと信じてるんですけど。でもたしかに瀬名さんみたいなスタイルのやつを切り捨てるというのも、それは根本的に間違ってるのかなあという……。 |
| 瀬名 | これも僕の印象論ですけれども、最初ハードSFというのは僕にはすごく狭い分野に見えてしまった。それはなぜかというと、よく野尻さんはSFというのは自由さを競うジャンルなんだとおっしゃいますよね。先程のコンタクト・ジャパンの三段階の方法みたいなのを聞いてみると、ああいう考え方もあるんじゃないか、こういう知性もあるんじゃないかというように、いろんな考え方を競っていくという意味での自由は確かにあるジャンルなんだと思うんです。ただ何ていうんですか、うまくいえないんですが、僕のイメージだとハードSFって最初の部分はこういうふうに細いんですよね(注:両手で表現する)。で、あるところからこういうふうに広がっている。広がったところは自由なんだけど、その根本が狭いというか。根っこのあたりが薄いような感じがしたんですよね、最初はすごく。 |
| 野尻 | 先にコードがあって、決まったルートがあって、そこからパーッと広がる部分というのがあると思うんだけど……。(野尻注:ここで語られた「根本の狭さ」を「SFの制約」と解釈すると、二つの要素が挙げられる。私にはいずれも狭さとは感じられないのだが。 (1)リアリズムの制約 庭先にエイリアンが忽然と現れて「地球の皆さんこんにちは」という場面があったとしたら、SFファンからいろんな突っ込みが入るだろう。「直接コンタクトするまえになぜ無線を使わないのか」「地球の言語はどうやって習得したんだ」「対空監視網に捕捉されなかったのか」「なぜ国連本部に行かない」「惑星大気に依存する音声で対話するのはどうか」等々。そうしたチェックポイントをもれなくクリアしようとすると、ある窮屈さを感じるかもしれない。 (2)好みの制約 SFファンの好みは十人十色だが、およその傾向はあると思う。その好みは「作品の結末に何を期待するか」によく現れる。一般の小説では登場人物個人の問題を決着させるが、SFでは人類全体に波及する展開が好まれがちである。そうした好みに迎合しようとすることが、ある狭さとして感じられるのかもしれない) |
| 瀬名 | だからSFを全然知らない人から見ると、この根っこがすごく細いわけですよ。そういうところで違いが出てくるのかなあと思いました。 (ここで時計を見て)このあたりから今後のことについてお話したいと思います。僕もSFを離れるといいましたし(笑)、今後どういうふうにしていくのか。あるいはSFについて、先程もSFじゃないという論争から読者が減ってるという話もありましたけど、じゃあどうすればいいかという話をしたいと思います。べつにどうもしなくてもいいよという意見もたぶんたくさんあると思いますが。僕がSFセミナーでいった、広告を打ってという話は、かなり不評なんですが、それはどういうふうに思われますか。 |
| 野田 | 朝日新聞なら朝日新聞に全段しきって広告をという……。 |
| 瀬名 | そうそう。 |
| 野田 | でも、それを一回やったからといって、じゃ何人その本を買うんだろう。それがどのくらい継続するんだろう。例えば一冊だけパッと書評すればその一冊は売れるかもしれないけど、あと続くかどうかっていうと、私はそれに対して懐疑的で、やっぱりウェブの掲示板なんですけども、有名な2ちゃんねるという、これの掲示板読んでたときにあった意見で、瀬名さんがテレビのスポット枠をちょっと借りて、「本パラ」の五分枠みたいな感じで借りて毎月なら毎月書評して、その本を売るようにしたほうがよっぽどいいんじゃないかみたいな意見があって……。 |
| 瀬名 | でも僕が勧める本が、SFファンにとってSFじゃないとかいわれたら、それはショックですよね(笑)。 |
| 野田 | そうすればたぶん瀬名さんのネームバリューもありますから、たぶん毎月その本は売れていくと思うので、そのほうが、継続しないとたぶん……。出版社の方に聞きたいんですけど、一発だけ売れてもしょうがないですよね。 |
| 大喜戸 | 広告に関していうと、書店さんの意識のほうが大きいんですよね。新刊広告打つと、書店さんが売れてるジャンル、売りたいジャンル、そっちに分類してくれるので置き場所が変わるんですよ。SFは書店さんの現場レベルで売れないと思い込んじゃってるんで、広告を各社で共同で打ってキャンペーンをやりますっていったら、キャンペーンだから書店さんが棚をくれるんですよ。そういうのがないと営業にしても、だってSFだしねって片づくわけですよ。 |
| 瀬名 | 今回SFセミナーでアンケートを取ったときに、ある編集者の人が、SFが結局ミステリーとかホラーとかノンフィクションとか、そういうのの平台と一緒に置かれて、しかも他の本じゃなくてそのSFを買いたいと思わせるようでないとだめだっていう話をされたんです。日本の作家の場合、ハードカバーのSFってそれほど出版点数があるわけじゃありませんが、それはその通りだなと思いました。まあミステリーのいまのやり方がいいっていうわけじゃないんですが、本屋に行く人でも平台ぐらいしか見ない人だっているし、ミステリーが好きな人はSFの棚なんて行かないわけですよね。そうしたときに、やっぱり平台の中に食い込んで、そこで売っていかないと新規読者層も開拓できないし、結局はベストセラーにもならないんだなと。そういう思いもあって、あの広告案を出したんです。普通のミステリーやホラーがやっているやり方を持ってくるということと、あとは各社が一致団結してやるということですよね。バラバラに徳間書店とか角川春樹事務所とかだけがやっていてもしょうがないわけで、いろんな作品をみんなでプッシュすると。今日もSF大会で書籍のブースが出ていますけど、いくつかのSF系出版社やSF系レーベルしか本が置かれてないですよね。ほかの出版社のSFって置いてないじゃないですか。あれじゃだめだと思うんですよ。いくつかの出版社がSFを一緒に出しますよという、そういう方向性が必要だと思ったんですけど。 |
| 野尻 | SFは売れないものってある程度諦めてるとこがあって、諦めちゃだめなんだろうけど、やっぱり何らかの教育っていうのはいると思うし、一般と同じように売って逆に失望されれちゃうんじゃないかなあって。SFが読者に要求するもの(素質)ってどうしてもあるんじゃないかなあ。 |
| 野田 | ある程度数式にビビらないとか、カタカナ単語に脅えないとかそういう……。 |
| 瀬名 | でも、ちょっと話がずれますけど、『BRAIN VALLEY』の読者は、べつにカタカナがあったって読みますよ。 |
| 野田 | あれが不思議。 |
| 瀬名 | 僕の読者はアンケートはがきによるといくつかの層に分かれるんですが、高校生とか大学生ぐらいの読者層って一派を成していて、その読者層というのは僕の本にどんなに難しいこと書いてあってもだいたい読めるんです。そればなぜかというと、日々授業を受けて考えさせられてるからですね。学問的な記述が読めるんですよ。 ところが三〇代、四〇代になると会社勤めで疲れてる。通勤電車の中で本を読みたいのに、NMDAレセプターがどうのといわれても、そんなの知るかよっていう感じなんですね(笑)。でも大学生だったら逆にそういうのはOK。それに正直なところ、売れてると聞いただけで読む人がいるということはありますね。 |
| 野田 | 私の知り合いでSF読まない人というのは、何でSF読まないのって聞いたときに、たいてい小難しいからとか、科学的な用語が出てきてよくわからないからっていい方するんですよ。だからSFがある程度売れないのはそういう人たちに、私はそっち系の知り合いなんで、アニパロとか書いてる女の子がメインなんですけども、そういう原因なのかなという気がしたんですけど、そうではなくてそれを乗り越えてなおSFを読まない人が沢山いるということですかね。 |
| 瀬名 | そもそも読むきっかけそのものがないっていうことじゃないんですか。 |
| 野田 | そういう人に向けて新聞広告、そういう人たちが読みますかね、ていう気が……。まあ平台にあればたぶんそういう人達は手に取る確率が上がってということだと思うんですけど。 |
| 瀬名 | うーん。あとウェブでのSF読者からの反響で、いま出ている本で充分満足しているというようなこといわれる方がけっこういたのが僕は驚きでした。僕はもっと本を読みたいという気持ちがあるんですよね。野尻さんとかがたくさん本を書かれているというのは、それはそれで素晴らしいと思うんだけども、野尻さん以外にも日本のどこかには野尻さんと同じくらい面白い本を書く人がいるかもしれない。ホラーでいうと、例えば『リング』(角川ホラー文庫)あたりが一発売れるとするじゃないですか。そうするとほかの新人に本を書く機会が回ってきたりするわけですね。で、それまで五冊出ていたホラー小説が十冊出るようになるんですよね。その中には傑作も必ずどんどん含まれてくるわけで、たくさんいい小説が出てくるんじゃないかなという気がするんです。「ほかの本が売れても俺の好きなSFには関係ないじゃん」という人がいるんですけど、僕は絶対そんなことないと思うんですね。いま知らないSFで面白いSFを手に取るチャンスが高くなるんじゃないかと思う。 |
| 会場 | 配られた資料(注:瀬名のSFセミナー講演資料)で、大学生が読んでるSFのリストから考えると、ほんとうに市場を広げる部分って、まだSFファンじゃない人にとってみては、これから出るSFを期待するよりも、いますでに出てるSFをいかに読ませるかというのもけっこう本質としてはでかいんじゃないのじゃないのかなと。 |
| 瀬名 | いま出ているSFというと、それは古典とかそういうことですか。 |
| 会場 | 古典というのをどのへんからか僕もわからないですけど、でも先程出たいわゆるSF御三家以降にしたって膨大な作品量があるけれども、ほとんど読んでないという数字だと思うんですよね。もちろん自分も本読みなほうなんで新しい本、もっと面白い本、これからの本に期待するというのあるんですけども、一方でじゃあこれからもし参入、ま、参入といういい方は変ですけど、SFを読もうかなと思う人に新刊本だけ読ませればいいっていうもんでもないと思うんですよ。それはさっきいった新刊本というものをSF、さっきいったある程度ジャンプしなきゃいけない部分も、このジャンプの部分を、上の部分も当然どっかで補わなきゃいけないわけだし、それからさっき野田さんがいった、ここまで来たんだから、この先もっと広がるはずなのにって、さっきいったハードSFの広がりみたいな部分を楽しみたいっていう意見、いまの話でいうと、ちょっと寄っちゃってるかなっていう気がしたんですよ。これからの作品を、もちろん発表数が増えるとか可能性が増えるというのは、それはもちろん大事だと思うんですけども、でもそればっかりやっちゃうと、ここの部分が弱いだけにいつも、そんな条件を充たしつつ売れるSFなんてあるのかよっていう議論に結局行き着いてしまうような気もするんですけども。 |
| 瀬名 | SFはそれでも古典を手に取りやすいジャンルのような気がします。ミステリーやホラーだと、古典はあまり売れていないですよね。やっぱり現役作家で読書の楽しみを知って、そこから自分なりにジャンルを遡っていくんじゃないでしょうか。でもSFは特殊で、いまだに御三家のほうが売れているでしょう。アーサー・C・クラークとスティーヴン・バクスターの共著で『過ぎ去りし日々の光』(ハヤカワ文庫SF)っていうのが出ましたけど、表紙の文字は現役作家のバクスターよりクラークのほうが圧倒的に大きかったですよね。早川書房の方に聞くと、いまだにクラークのほうが売れるらしい。むしろSFでよくないのは、その講演資料のアンケートでも星野力さんがおっしゃっているように、第一世代より後の作家の作品が全滅していることですよね。 まあでも、先程いわれたような条件を満たして売れるSFを野尻さんが書くのはどうでしょう(笑)。 |
| 野尻 | 私は昔の作品を読もうという姿勢があんまり好きじゃないんです。SFというのは新しさが命だと思うので、昔のなんか読まなくてもいいようにしたい。だから自分の目標としては高校生とか中学生を対象にした、しかも買いやすいヤングアダルトの文庫で、最初のSFになるという作品というものを目指して書いていくというのがあるんです。そうやってなるべく教育していこうかなあという気持ちは自分としてはありますけどね。 |
| 瀬名 | それは重要だと僕も思います。ヤングアダルトは僕は書けないかもしれないけど、ジュブナイル小説はやってみたいんです。ほかに何か今後、自分なりにやっていきたいところというのは、野尻さんありますか? |
| 野尻 | ひとつには海外進出というと大げさなんですけど、「太陽の簒奪者」(SFマガジン1999年9月増刊号『星ぼしのフロンティアへ』掲載)というの、いま英訳を進めていまして、海外で通用するかどうかっていうのいっぺん試してみたいです。 あとさっきもいったように、やっぱり私日本国内ではそんなにはSFは売れないと思っていて、とくに宇宙SFというのは一定の限界があるかなあと、かなり諦め半分なので、それでも食っていけるためには海外に出なきゃいけないかなあと思ってるわけです。 |
| 瀬名 | 海外のほうが受け入れられやすい感じなんですか。 |
| 野尻 | まあ英語圏は絶対的に市場が広いから。あと市場は小さいんだけど、東南アジアなんかは最近工業で伸びてる。マレーシアとか、ああいう国なんかでわりとテクノロジーを扱った小説というのは読まれるんじゃないかなという気持ちがあって、アジア方面にも売れたらいいな、売れるかどうか試してみたいという気がして(拍手)。あとはいつもやってるように宇宙開発、現実の宇宙開発とリンクさせてお互いを盛り立てていこうというような、そういう活動も宇宙作家クラブを通してやってるんですね。 |
| 瀬名 | 野田さんは商業誌で評論や解説も書かれているわけですが、今後の予定とかビジョンというのはありますか? |
| 野田 | 原稿書きますので仕事くださいというのあれなんですけど、私は一般読者のつもりですし、実際……。 |
| 瀬名 | こういうふうにSFがなったらいいなあっていう思いでもいいです。 |
| 野田 | そうですね。いまのハードSFってわりと物理科学系を重視してハードなSFが多いんで、生物学的にハードなSFが増えてほしいなっていうのとてもありますね。で、例えばコンタクト・ジャパンやって、よく出てくるんですけども、生物のコドンを、われわれヒトが使っているユニバーサルコドンといわれるコドンをそのまま使ってるとかいうのがポコポコ出てくるんですよ。で、ユニバーサルコドンはユニバーサルじゃないっていうようなことも浸透してないのかと思うと、ちょっとガクッとくるので、そういうのがもうちょっと浸透してくれないかなあとか思ったり……。 |
| 瀬名 | なるほど。でもそれは逆に僕なんかも期待したいところですね、そのへんは。たぶんバイオサイエンスについて、あんまり語ることができる読者にしろ評論家にしろ解説者にしろ、いまほとんどいないと思うんですよね。で、ハードSFって実はいまいわれる宇宙SFだけじゃないよと。宇宙って考えたときに生命も考えなきゃいけなくて、当然生物学だって入ってくるんだからという話はするんですけど、ハードSFっていうと僕なんかからすると、ものすごく宇宙開発とかどっか飛んでいってとか、そういうイメージになりがちなんですよね。 |
| 野田 | むしろ細かくなって素粒子とかナノテクにいくとか……。 |
| 野尻 | いわゆるいわれてるほどハードじゃないんですね、生物の専門家から見ると。とくに生物のレベルはガクッと落ちてるとこがあって。 |
| 野田 | そういうのは出てきてほしいと大変思いますし。 |
| 瀬名 | あと逆に僕のほうに聞きたいところがあれば、野尻さん、野田さんのほうからぜひ……。 |
| 野尻 | SFから離れるってほんとに離れちゃうのかなあと思って、メールで聞いてみたら、そうでもなかった。いろいろ聞いてみると「なんだ全然離れてねえじゃん!」て(笑)。 |
| 瀬名 | いや、いろいろな面があるんですけど、ただ正直なところ、SFと銘打っている雑誌にはしばらくは書かないようにしようかなと思います。それからSF大会に来るのも今回でたぶん最後になるかなあと思いますね。 ただ、いま、僕のところに来ている原稿の依頼って、前にも話したようにSFを書いてくださいという依頼がすごく多いんですね。いまも実はSFを書いてくださいと頼まれて、たぶんオビに「SF小説」と銘打って出るであろう小説を書いているんですが……、最近どうも、これをSFだと思って書くと自分のなかで何かが分裂するんです。非常に個人的な話で申し訳ないんですけれど、原稿が書けないんですよね。SFだとかSFじゃないとか、そういうところで評価があるんだろうなあと考えると、いま書いてる原稿がすごく恐いんですよ。 それでどうやっているかというと、SFだとかSFじゃないといったこと考えずに、これは俺の小説だと思って書いているんですよね。まあオビのアオリは勝手にやってくださいということになるんでしょうが、実はいまそこの精神コントロールがものすごく難しい。これが僕のなかですごくストレスになってるんです。 このストレスを何とかして解消したいという思いがあって、そうするためには「SFを書く」という感覚が全面に来る仕事を切っていかざるを得ない。書いているものはそんなに変わらないと思うんですよね。だからそういうふうにしていかないと、しばらくは精神的なストレスが非常に大きいということが……。 |
| 会場 | 話を蒸し返すようなかたちになって申し訳ない。SFとかSFじゃないとかいう論争というのは、八〇年代頃にSFブームになったときありましたですよね。八〇年代の頃に「奇想天外」いう雑誌がありまして、新井素子さんや夢枕貘さんがデビューされた雑誌なんですが、そういうのさんざんやられたんですよ、五年ぐらいかけまして。 それを誰がやられたかというと当時の、まあ新井素子はデビューして間もないんであれは入ってないんですけれども、それ以外の山田正紀さんとかかんべむさしさん、それ以上の方が集まってきまして、その他評論家の方も集まってきまして、大論争されたわけです。たしか三年か四年ぐらい延々とやりましてね、そのとき。私ずっとそれ講読してましたもんですので。結局、どこに落ちついたかとなると、SFとは何だというふうな話になったんですよ。結局フェロモンではないかという話になってしまったわけです。そこにおってこられた全員がそうせざるを得なくなったわけです、結論として。 |
| 瀬名 | SFフェロモンというのは、「SF魂」とかそういうような感じですか(笑)。 |
| 会場 | じゃないんですね、それが。 |
| 瀬名 | 違うんですか。 |
| 会場 | 結局それが何かというと、センス・オブ・ワンダーとしかいいようがなかったんですよ、その時点では。センス・オブ・ワンダーって何だってなってくると、これがまた持ってるものが違うわけですよね、話として話すと。結局、収拾がつかんようになったんで結局のところが、俺の書いてるものがSFだと開き直るか、あるいはSF雑誌に書いてるものがSFだというふうなかたちでしかおさまらへんかったわけですよ。 で、私は読んでる立場のほうだったので、どうやって判断するかというと、結局SF雑誌からデビューした、あるいはSF雑誌に書いてる人間がSF作家であるという認識が多かったんですね、当時としては。 |
| 瀬名 | うーん、なるほど。 |
| 会場 | ですから例えば新井素子さんの場合は、「奇想天外」というSF専門誌から出たから、あれはSF作家と認知されたわけです、ある意味で。あれがもし「コバルト」あたりから最初書いておったら、あれもフクロ(叩き)に近い状態にされたと思います、ある意味では。そういっちゃなんですけども、私はそう見てる。 で、当時のSFファンというのはけっこう『スター・ウォーズ』の関係もありまして、はっきりいって出来の悪いSFというのがボコボコ出てきたわけです。出来の悪いものっていうのはやっぱり腹立つんですよね、SF読んでる人間にとりましては。となるとそういうのは認めたくないいうなってくると喧嘩になるわけです。それがまあ、いうたらなんですけれども。それがある意味ではこれはSFではないという表現にもつながっていくわけです。だからそのへんのとこどう判断するかによってできなくなるんですよね。 |
| 瀬名 | SF作家の人たちも、そういう意味じゃすごく苦労してるわけなんですね(笑)。 |
| 会場 | だから昔はSFというもののジャンルがあまりにも、本の数があまりにも少なかったのですから、SFというものもっと世の中に広めたいということが片っ端からいろんなものを、かぐや姫から何からSFだというふうな話に持っていくことによって広げようとしたわけです。ところが今度は逆に広がりすぎて収拾がつかなくなったわけですね、逆にいいましたら。『スター・ウォーズ』以降のところによりまして。 SFのなかに恋愛物とか推理物からハードからいろんなものがありますんで、これが本道だといまいえないわけですよね。「SFマガジン」の初代編集長だった福島正実さんは、ハードSFを本道として、あとはそこから広げていこうという発想やったわけです。だからいま「SF何々、ケッ」というのは、だいたいハードSFでも本流というのを考えてるから、だいたい本流だと思います。ここにおられる方四〇代以上の方だいたい私と似た経験されたと思います。ハードSF系のものはSFにおける本道であるというイメージが強いんですよね。福島正実さんの教育やったから、周りから、そういう意味では。 だから逆にいうと福島正実さんにとっては、平井(和正)さんですとかあのあたりのところ、星(新一)さんとかいうのはある意味では正統なSFの子供ではなかったわけですね、そういった意味の、正統派の。そういったところもあったんだけども、彼らは全員自分の道を信じてそういうふうにやっていったということあるわけですよね、話的にいいますと、歴史的に流れからいいますと。 で、私自身、実をいいますと、いまのライトファンタジー系がSFかっていわれると、あれは正直いって困るんですね。そういう意味でいいますと。 |
| 瀬名 | 昔ながらのいわゆる福島正実さんの……。 |
| 会場 | じゃなくて。 |
| 瀬名 | じゃなくて? |
| 会場 | SFとしてのセンス・オブ・ワンダーがあるかっていわれると、感じられないんです、あんまり(笑)。 |
| 野尻 | パワードスーツが出てきて戦闘するみたいな……。 |
| 会場 | うん。 |
| 野尻 | あとSFかっていうとどうか。 |
| 会場 | だからSFファン、SF作家のなかでこういうギャグがありまして、SFにしたかったら最後に拳銃の代わりにレーザー持たせたら、それで済むじゃないかというふうなギャグもあったわけですね、いうたら。だからじゃSFって何なんだってふうになってくるわけですから、そうなってきますと。 |
| 瀬名 | なるほど、うーん、そうですね。たださっきいった、いろんなSFの可能性があったっていうところとちょっと近いのかなって気もするんですが。 |
| 野尻 | 瀬名さんがずいぶん辛い思いしてるというのを聞いてるんですが、私としてはもっと楽になれるかなと思うんです。例えば瀬名さんの作品のSF性というあやふやなものを批判する人って、けっこうこの中にもいるかもしれないけども、もし瀬名さんが「誰が何といおうと俺がSFだ」と開き直っちゃえば、その態度そのものはべつに皆さん反発しないだろうと思うんです。 |
| 野田 | そうですね、たぶん。 |
| 瀬名 | うーん、それは……(笑)。 |
| 野尻 | そう思う方。(拍手) |
| 喜多 | 喜多です。いま、俺がSFだというのでちょっと思い出したのが「奇想天外」のSF対談集という、さっきいった「奇想天外」で連載されてたSF作家の対談集がございまして、それの第二巻でしたかね、『オレがSFなのだ』というタイトルだったんですけど(注:『なぜSFなのか? 奇想天外放談集1』『オレがSFなのだ 奇想天外放談集2』両者とも奇想天外社刊、1978)、たしかにそれは筒井(康隆)さんと荒巻義雄の対談の中から出てきてる部分だったと思うんですが、たぶん先ほどの話で出てきた中では、本道じゃない人たちが開き直って出した言葉だったと思うんですよね。 で、僕個人としてはSF雑誌にSFじゃない小説のデビューをしている書評家として思うのは、SF作家にこういうこというとフクロにされちゃうんですけど、そんなにSFってご大層なもんかなあと。そんなのええやん。たかがSFやんか。(拍手) なんかSFファンに対するコンプレックスを抱いてらっしゃる方ってのウェブ上にもけっこういてはるように思うんですね。で、何でやろなと思うんですよ。僕なんかも学生時代から空気(?)みたいにしてSFやってますから、こんなもんかなあ思ってますし、SFファンの中でも、あんまりいうとあれですけど、どうしようもないのもいるわけですよ(笑)。なんやねん、こいつちゅうのもいるわけですよね。ですからそんなに大層なもんじゃないと思う。どうしてそれをSFファン、例えばSFファンダムにいるからというので、何かそれですごい人だというふうに認識してしまうような人が中にはいるような気がする。そうじゃないんじゃないかなあというふうに僕は……。たかがSFだというぐらいに笑い飛ばすぐらい別な考えしてくださいいうふうに思っています(笑)。(拍手) |
| 瀬名 | なるほど。まあそうですね。いまの話はでもSFのファン同士でよくいっていただいたほうが僕はいいような気がしますね。 |
| 野田 | そうですね。 |
| 瀬名 | だからそれはSF研とかね、SFファンダムみたいなところの中では、そういう感覚というのが共有できればいいなと思うんです。 ただ僕自身、「俺がSFだ」という気持ちにはまだなれないんです。僕の小説は僕が書いている小説でしかないんですよね。それは外せないところがあるんですけど、だからそこがSFだとかいうふうにはちょっといいにくいところがあるけれども、だからそれはやっていくというところですね。SFへの向き方の問題として離れるという話をしましたけれども、そのへんを僕は自分で精神コントロールをしなきゃいけない状態なので、そこはやらなきゃいけない。 それからあとは、そうか、僕がこれからやりたいことを話さないといけないですね。実は最近、SFに関する仕事がやたらに来るようになってしまったのです。例えばセンス・オブ・ワンダーをキーワードにアンソロジーを編んでくれとかですね(爆笑)。それから、ある地方自治体から来ている話ですけど、最近ロボットがブームでして、ああいう科学技術を扱った教育振興やイベントができないかというので、例えばロボットだったらロボットSF映画特集みたいな映画祭をやれないかとか、そういう話をしたりしています。科学者とSF作家が自由にディスカッションできる催しなんかがあると楽しいと思うんですよね。あとは、SFセミナーでもちょっと話しましたが、科学の本を読む環境をつくりたいと。いま、ある出版社とアイデアを出し合っていますが、いま読んでも面白い科学書の新古典を復刊させて、文庫本で定期的に売っていく。SFに直接関係あるわけではないですけれど、間接的にSFを盛り立てていくことはしたいし、読者にSFを手にとってもらうきっかけをつくっていくこともできると思うんです。 そういうことは今後もやっていきたいので、SF作家クラブをはじめ、皆さんにはいろいろご協力いただきたいんですけども、僕自身のことに関しては気持ちの折り合いがうまくつかない限りちょっと難しいなというところはありました。 あと最後に野尻さんと野田さんでお一言ずつどうぞ。 |
| 野尻 | ウェブでもいったのはSFというのは定義不可能であるといいますけど、ひとつ思うのはこだわることがSFであるというような人もいるわけですね。だからSFだというふうに、必ずSFの二字を入れてこだわりを見せてもらえば、それはもうファンとしては絶対まず認めるし、一目置くと思うんですね。だから逃げ腰にならないでくれると嬉しいなとなんか、瀬名さんとかいろんな予備軍の人とか思うわけですね。 |
| 瀬名 | まあ逃げ腰というわけでもないんですが、SFを入れるこだわりというのがいまの僕には難しいところでもありますね。SFに対する自分なりのこだわりはあるんだろうけど、じゃあ自分をSFとして主張できるかというと……。少し時間を置かないと難しいですね。 |
| 野田 | 私ほんとに一般読者なんで、できることというかウェブでと。私は書くときには、SFじゃないいい方をしたいときには大変気をつけてやるっていうのぐらいとかね、そのぐらいだと思います。 |
| 瀬名 | 今日は時間も超過してしまいまして、まだほんとは話し足りないという方もたくさんいらっしゃると思いますけれども、時間ですので、このぐらいのディスカッションとさせていただきました。 僕はたぶん来年以降は来ないと思いますけれども、さっきお話ししたような意味ではまだまだ関わりを持っていくことになると思いますので、いろんな方向からSFが考えられて、SFが出てくるといいなあとは思います。一個の方向じゃなくて、いろんな考え方を出していけるようなきっかけづくりになればいいかなあと思いました。 今日はどうもありがとうございました。(拍手) |
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