公開:2001/12/20
ディスカッション 1/2
 
瀬名  これからSF大会企画「SFとのセカンドコンタクト」を始めさせていただきたいと思います。皆様お集まりいただきましてありがとうございました。
 今日は何となく僕が司会という感じになるのですけれども、なにぶん不慣れなものですから至らない点が沢山あると思いますので、随時、野田さんとか野尻さんにご協力いただきながら進めさせていただきたいと思います。
 今年の5月に「SFセミナー2001」というのがありまして、僕がそこで「SFとのファースト・コンタクト」という講演をいたしました。セミナーではそのあと合宿企画があって、野田さんと野尻さんに「瀬名秀明先生のSFに対するアンビバレントな思いを聞いて」をやっていただいたんですが、ちょうど僕が仕事が入ってそちらに参加できなかった。それで瀬名がいないところでいろいろ話すのもなんか虚しいよねという話がありまして、じゃあ今回のSF大会で三人顔を合わせてフリーディスカッションをしようじゃないかということで始まった企画でございます。今日はどうぞよろしくお願いいたします。(拍手)
 まずは簡単に僕のほうから野尻抱介さんと野田令子さんを紹介させていただきます。まず野尻さんですが、ちょっとお生まれの年を……。
野尻  昭和三六年、一九六一年です。
瀬名  一九六一年ですね。野尻さんはいまSF作家として非常にご活躍でして、「クレギオン」シリーズ(富士見ファンタジア文庫)や、最近出ました『ピニェルの振り子』(ソノラマ文庫)、『ふわふわの泉』(ファミ通文庫)などで多くの読者から支持を受けておられます。昨年は短編「太陽の簒奪者」で星雲賞を受賞されました。SFセミナー2001の合宿では、ゲストとしていろいろお話をいただいていますし、またウェブ雑誌の「SFオンライン」51号にはセミナーのレポートを書いておられます。野尻さんよろしくお願いいたします。(拍手)
 それから野田令子さんですが、すみません、お生まれの年を……。
 
野田  一九七二年生まれです。
瀬名  いまはポスト・ドクですか。
野田  はい、そうです。
瀬名  遺伝子関係のポスト・ドクということで、研究者でいらっしゃいます。またお茶の水大学のSF研にも所属されており、SFセミナーやSF大会のスタッフもされる一方で、「SFオンライン」や「SFマガジン」にバイオ関係の科学解説などを書かれていらっしゃるわけですね(例えばSFオンライン50号「ヒトゲノム解析とは何か?」)。ご専門の分野はある程度まで僕とかぶっているんじゃないかなと思います。読者側のおひとり、SFファンのおひとりということで今日はお越しいただきました。どうぞよろしくお願いいたします。
野田  よろしくお願いします。(拍手)
瀬名  それから僕が瀬名秀明で、生まれは一九六八年です。ですからある程度の間隔をおいて三人が並んでいるような感じですね。僕は『パラサイト・イヴ』(角川ホラー文庫)で一九九五年にデビューしまして、そのあと『BRAIN VALLEY』(角川文庫)、『八月の博物館』(角川書店)などを書いております。
 これまでSFセミナー事務局のほうからは何度か講演のご依頼をいただいていたんですが、出て行くのが恐いとか、何をいわれるのかわからないというような恐怖感があって、なかなか行きづらかったんですが、去年からほとんど専業作家になったところもありますので、区切りでもあるからお話をしようと思ったわけです。
 そのときに何を話すか考えました。まず、「SFが売れない」とよくいわれる。本当にそうなのかというのを、ぜひともちゃんと調べて、皆さんの前でディスカッションしたかった。それでウェブ上で読者の方にアンケートをとって、みなさんのSF観や、僕が書いた小説についてどう思うかというのを聞いてみたりしました。
 それから文芸編集者の方々にSFについて聞いてみたかった。僕の担当の方とか、僕の担当じゃないんだけれどもSFよく読んでいらっしゃる方とかに話を聞いて、本当にSFって売れないのかと直接聞きました。そして、売れていないのが事実だとしたら、じゃあなぜ売れないのか。逆に売れているんだったら、なぜ売れないという言説がひとり歩きしてるのかということを、ひとりひとりにお聞きしました。
 これらの調査の結果からSFの現状はどうだという話をした後で、じゃあ僕はSFについてこういうふうにいままで思っていたんだよということをお話ししました。SFファンダムというものも僕にはよくわからなくて、そこの人たちは僕からするとこう見えるよという話もしました。
 それから、じゃあ相互理解していくにはどうしたらいいんだろうということで、「センス・オブ・ワンダー」というSFのキーワードを森下一仁さんの『思考する物語』(東京創元社)という本から引用して、それについてどう思うかという話をしました。
 そういうことを踏まえた上で、じゃあSFを今後どういうふうにしていけばいいのかという話を最後にしました。僕はSFについてこういうふうに思うんだけど、僕もなんかSFについていろいろ協力するところは協力していくから、皆さんもぜひお願いしますというようなことを提言として示したわけなのです。
 その講演録はSFセミナーのウェブサイトに掲載されています。それから、そのハードコピー版ができましたので、無料で差し上げております。そちらに置いてありますので、お取りになって下さい。それを見ながらディスカッションに加わっていただければと思います。
 今回の企画はSFセミナーの僕の講演を踏まえた上での話になってしまうんですが、僕の講演をお聞きにならなかったとか、あるいは講演録ウェブ上でまだ読んでないという方というのはどのぐらいいらっしゃいますでしょうか。(三分の一くらい手を挙げる)
 わかりました。じゃあ随時説明しながら進行するという感じですね。
 今日は時間を二つに分けまして、最初の前半はSFがよくわからない、わかるという相互理解の話にしたいと思います。SFファンの話がよくわからないとか、ハードSFの話がよくわからないというディスコミュニケーションがどうして起きるのかという話をしたいと思います。
 後半はそれを踏まえた上で、今後SFの未来をどうしていけばいいのか。僕とか野田さんとか野尻さんが、今後SFどういうふうにしていきたいかということを話します。あるいは皆さんのほうからも、こういうふうにSFを変えていけばいいんじゃないかという将来像をお聞かせいただければと思います。
 今日は皆さんとのフリーディスカッションも兼ねながらやっていきたいと思いますので、壇上で三人話すだけじゃなく、途中でいいたいことがあるという方がいらっしゃいましたら、ぜひ手を挙げていただいてマイクでお話し下さい。
 それから最後にもうひとつ重要なことですが、今日の話はテープ起こしをして、どこかのウェブで公開しようと思っております。テープを録らせていただきますがよろしいでしょうか。よろしいという方は拍手をお願いいたします。(拍手)
 じゃあ始めさせていただきます。
 まず野尻さんのほうから僕の講演内容について、何か感想やご意見がありましたらお願いします。
野尻  講演を聞いた直後の段階では、イマイチよくわからなかったんですね。すごく違和感があって、どこまで本気でいってるのかというのがあったんですね。とくに後半にいったら……。
瀬名  話しやすいところからでも結構ですよ。
野尻  いわゆる後半の提案の部分、瀬名さんが提案されたのは、キャンペーンをやって新聞広告を出して売ろうという。瀬名さんは1500万円を拠出して、自分は加わらなくていいからやりましょうということをいわれて、それはありがたい話なんだけど、瀬名さん的にそれでいいのっていう気がした。そのとき私は「瀬名さんは作家の立場で提案された」と解釈していて、だったらそれはちょっと作家としてだめでしょうと思ったんです。
 ひいては瀬名さんがどこまで本気なのかピンとこなかったんですけど、よくよく考えてみると、どうも瀬名さんの立場というのは作家とは限らないらしい。どうも啓蒙者、あるいは教育者、あるいは科学者というようないろんな要素が混じった上での提言だったんだなあというのかわかってきたんです。
 SFオンラインに非常に不真面目な感じのレポートを書いたんですけど、そのときは「よくわからない」という気持ちをストレートに書きました。あれは皮肉も何もなくてほんとにストレートに書いたレポートです。「とにかくこういう人なんだと思うしかないな」という感じで受け流すようにして、で、唯一ピンときたのは「瀬名さんは受けが取れる」(笑)。意外に面白い。一見真面目そうじゃないですか。真面目そうなんだけど、実は受けが取れる人だと。だからそういう意味で「いじると面白い人だよ」「もっといじってみたい」って書いたんだけど、それが非常に失礼な感じに読めてしまうことにあとから気がつきまして、失敗したなあと思っています。
瀬名  ただ受け度をテープで録音したものを音の大きさで数値化して、それをどのへんが受けたかというのを全部表にしていただいたという、あれは僕も読んでいて驚きましたね(笑)。
野尻  あれは瀬名さんに負けちゃいけないと(笑)、瀬名さんがあんなにすごいアンケートやってるんだから、ちょっとこちらもやろうと。
瀬名  わかりました。野田さんはいかがでしょうか。
野田  私は聞いたとこをいちばん強く感じたのが、瀬名さんがSFに抱いてる違和感が私は理解できないというのが。例えば瀬名さんがいちばん違和感抱いたとおっしゃってたのが、われわれが、ハードSFファンが宇宙人の振りをするのに、服を被ってふざけた恰好をしているというのが、なぜそんなことするのかわからないとおっしゃっていたのが、それが全然理解できなくて、そこがすごい違うなあっていうの感じたんですけども。 
瀬名  講演スライドの11番ですね。「SFマガジン」に載っていたロバート・J・ソウヤーの写真を無断拝借してスライドに使ったんです。「コンタクト・ジャパン」という大会のなかで、ソウヤーさんが宇宙人の恰好をして地球人側とコンタクトを果たすシーンですよね。それを見てちょっと違和感があるという話をしたんです。
 僕のSFセミナー講演のときは、なぜここに違和感があるのかわからないという方が多かったようです。講演資料では言葉足らずな部分を書き足したんですが、それでもまだよくわからないという方が多いようですね。
野田  そうなんですね。なんかそのへんの違いというのはたぶん私にとってのSFファンと、そうでない人との違いかなあって気がとってもするんですけど。
瀬名  なるほど。他に違和感みたいなところというのはありましたか。
野田  違和感といいますか、あともうひとつすごく強く感じたのが、なぜ瀬名さんはここまでSFに肩入れしてくれるんだろうというのがものすごく強く感じたんですよね。
瀬名  うーん、それはSFが好きだからとしかいいようがないんですけど。
 野尻さんも野田さんも、ハードSFファンだと思うんです。野尻さんはSFオンラインのほうで、普通のSFファンとハードSFファンを分けて考えたほうがいいんじゃないかという話を書かれていましたが、あのへんはどう考えるといいでしょう。
野尻  そうですね、どうなんだろうなあ、あれは。私もハードSFファンの気持ちは語れるんだけど、普通のSFファンを語るとなるとあまり自信がない。非常に雑にいえば文芸派と呼んでるんですけど、あまりハードなことこだわらなくて、文芸的な捉え方、頭で読むよりは心で捉えようとするようなタイプというのも、たしかにいると思うんですけどね。で、普通の人の気持ちというのはよくわからないんで、ちょっと逃げたというところもあるんですけど。
瀬名  ハードSFファンと普通のSFファンの区別というのは、僕にはよくわからないんですが、皆さんは自分が普通のSFファンだとか、僕はハードSFファンだというのは明確にわかるものなんですか。 
野田  どうなんでしょう。会場の方に聞いたほうがいいんじゃないですか。
会場  =大喜戸千文氏(角川春樹事務所SF担当編集) 比較的はっきりわかります。
瀬名  わかるんですか。
大喜戸  はい。だいたいハードSFファンと普通のSFファンとプロパーなSFファンに分かれると思うんですが、読者の反応で全然違います。
瀬名  読者の反応が違うというのはどういうふうに違うんでしょう。
大喜戸  ハードSFファンの方についていうと、まずかかってくる電話で多いのは……。
野尻  電話かかってくるの(笑)。
瀬名  あ、マイクがありますので、そちらをお使い下さい。(マイクを渡す) 
大喜戸  私、角川春樹事務所のほうでヌーヴェルSFというシリーズを担当しております大喜戸(おおきど)と申します。一般にSFの方って非常に熱心な方が多くて、よく電話がかかってくるんです。電話とかあとメールによって……。
瀬名  あの、ホラーとか時代物とかのレーベルも出してますよね、ハルキ文庫は。そういうのに比べると圧倒的に……。
大喜戸  圧倒的に違います(笑)。ハードSFファンという方のお手紙ですと、まず発売日どうのこうのという前に、これはどこそこが間違ってるから直せ(笑)。もうひとつ多いのが、ちゃんと計算してから書け。そういう方が多いです。
 で、わりとライト系(注:スニーカー文庫や電撃文庫など、ヤングアダルト小説・ライトノベル小説のこと)から入った方というのは、ライトの方ってあまり実は反応はないんですけど、キャラクターとか内容については考察があったりする前にまず、次はいつ出るんですか。続きはいつですか。まだ書かないんですか。どうしてるんですか、次をなんとかしてください、っていうような(笑)。
野尻  ライト系はあれですよね。そのキャラクターにまた会いたいという人が多いですね。
大喜戸  そうですね。少なくともストーリーは先にして、キャラクターのなんとかちゃんはどうなるんだと来て、で、考察はその次なんですよ。で、SFプロパーの方になると、これはSFとしておかしい。何とかしろと。 
瀬名  それは作家によって全然ファンの人が違うということですか。
大喜戸  ファンの人によってかなり違います。
瀬名  ハルキ文庫でハードSF系のそういう計算しろというのは、どういう方が……。
大喜戸  うちがやっているとこですと、林譲治先生なんかはハードSFのほうが明らかに多くて。ここはこうなんじゃないかとか科学的にどうよという話をしてくる方がいらっしゃいます。
瀬名  間違ってるよっていわれた場合、編集者としてはどう対応しますか。
大喜戸  基本的に話は伺って先生に伝えますと。ある種のフィクションですから、ほどほどの嘘はありますよ、たしかに。あくまでもこれはフィクションであって、科学的なものではありませんからといって、科学的な正確度をみたい人はまず論文読んでくださいといった人もいます。その前に納得してくださいますけど、ひどいときは二時間ぐらい付き合わされます(笑)。
瀬名  野尻さんもそういうファンの方からのメールとか電話とかって来るんですか。
野尻  ほとんどないです。まず電話に関しては皆無ですね。公開してませんし、出版社に届く手紙ではたぶん編集者がフィルターしちゃってて、貶してるやつはくれないと思うんですけど(笑)、だから確たることはいえないんですけど。メールは公開してますけど、それにはほとんどない。感想というのもあんまりこない。
瀬名  そうですか。僕も実は、いろんな編集者の人に驚かれるんですけど、もらうファンレターなんて年に十通未満ですね。読者カードは返ってきますけど。でも今日SF大会にいらっしゃってる森博嗣さんあたりだと、一日に五〇通か六〇通くらい来るんじゃないですか?(瀬名注:憶測です) ですから僕は、一般文芸の世界のなかでは圧倒的にファンレターが少ない作家なんですね。ライトノベル、いわゆるヤングアダルト系の方はたくさん来ると思いますけど……。 
大喜戸  それについては、女性読者の比率が高くなると指数関数的に高くなります(笑)。
瀬名  そういうものなんですか、野田さん(笑)。
野田  そうですね。そうですねというのはそういうパロディ系とかの同人誌のとこ行きますと、作者に手紙を出すとかいうのはわりと普通にやってるようですね、皆さん。
大喜戸  やっぱり年齢的にすごく多感ですから、中・高校生はやたら手紙を書きたい時期なんですよ。中・高校生で女性のファンが多いと、だいたい多い先生になると一日ふた桁ぐらい。女性のファンが少ない男性作家の場合は、極端な例をあげると年に一桁ぐらいです。
瀬名  ははあ(笑)。
野尻  少女小説だとほんとに読者と作者のバトル、戦うといいますからね。でもなんか、そういう少女傾向性というものがあればあるほど波紋が大きくなってくるんじゃないか。
大喜戸  部数の比率でいったら結構な比率ですね。
野田  それは手紙は書いてくれる人がそのぐらいあるということですか、最大で。
大喜戸  ええ、かなりの量が来ます。下手すると先生が同人誌をやっておられるともっと増えますし、同人新刊がでたあとのコミケ明けなんかでは、通常より増して相当来ます。
瀬名  ぼくの全然知らない世界ですね(笑)。
 野尻さんの読者層というのを知らないのでお聞きしたいのですが、やっぱりそういうハードSF系の読者の方が、結局は多いということなんでしょうか。どうやって把握されてますか。
野尻  実はあんまり把握できてないです。ヤングアダルトを狙ってるものに関しては、基本的にはターゲットは一五歳を中心にしてるんですけど、実際にそうなのかっていうのがわからないんですね。ただ反応を返してくれる人というのはわりあい頭のいい人(利発な人)というか、あとSFとして読んでマニアなことをいってくる人っていうのはまたべつのところにいるので、それはたぶん量的には少ないんだと思います。
瀬名  SFセミナーの講演では、そういうハードSFファンの声が非常に大きいんじゃないか。大きく聞こえがちだという話と、あと「コンタクト・ジャパン」がよくわからないという話をしたんですね。講演資料をウェブで公開した後にいくつかメールがありまして、野尻さんがいってることはこういうなんだよと解説をしてくださる方が何人かいました(笑)。
 それで、実はそのなかで、ハードSFファンの考え方というのはこうなんだよということを書いてきて下さった方がいらっしゃったんですね。たぶんその方ご自身はコンタクト・ジャパンに入っているわけじゃないと思うんですけど、それを読んで僕はなるほどと思ったんです。確かに僕とコンタクト・ジャパンの間には認識の違いがあるなと。
 その方のご意見を要約して話しますね。まず人間以外の知的な存在というものに対して、どういうふうに考えるかということで、例えば異質さ、野尻さんはSFオンラインで「合理的な異質さ」おっしゃっていましたけども、人間でない知性を考えるときに三段階あるとその人はいうわけですね。
 最初の第一段階というのは、例えば人間らしい特徴を人間から取り去ってみる。あるいは人間にない能力を付加してみる。テレパシーがある社会はどうだろうとか、感情を持たない人間の社会はどうだろうとか。
 ところがそれだとまだ擬人化の域を出ないとその人はいうわけですね。で、第二段階というのがあって、このときに、つまり擬人化を排するために科学的知識や論理的演繹を使う。物理法則とか、進化学に基づく生物の適応理論を利用していくことによって、人間でない存在をシミュレートできるのではないか、と考えるんです。例えば惑星でこういう生態系があったらどうだろうといったように、科学的演繹をしていく。その段階を取り入れると「ハードSF」と呼ばれるんだとその人は指摘していました。
 さらに第三段階があるんです。金子隆一さんというサイエンスライターの方が、コンタクト・ジャパンで「『異星人=理解不可能な知性』という思い込みを排せよ」とおっしゃっている。どういう経緯でおっしゃっているのか僕は知らないですけど、これだけ聞くと一般の人はわけがわからない。ただ、第一段階、第二段階を踏まえた上でその発言があると考えたとき、意味がわかるというんです。つまりその二段階の後になると、もしかしたら人間以外の知性というものが、人間にとって異質なものであるという発想そのものが、実は人間的な発想なのかもしれない。ひょっとすると異星人は異質ではないのではないか。自分たち自身の考え方に対しても懐疑的にならなければいけないんじゃないかとなってくる。これが金子隆一さんの発言になる、というわけなんですよね。
 そして、ある程度の科学の知識があって、「人間でない知性」について知的興味があれば、どんな人間でもこういった思考を必ず経るはずだとハードSFファンは思っているのだ、とその方はおっしゃっていました。その意味で自分たちが求めるものには普遍性があるのだと彼らは思っている、と。
 こういうふうに説明されると、僕はハードSFであるコンタクト・ジャパンのやり方というのがすごくよくわかったのですよ。この三段階の考え方でだいたい合っていますか(笑)。
野尻  うーん、意外と……。
瀬名  違いますか。
野尻  最後は同じなんですけど、違うルートから……。(野尻注:第一、第二段階は、それも真だが違う筋道もありそうな気がする。「人間以外の知性というものが、人間にとって異質なものであるという発想そのものが、実は人間的な発想なのかもしれない」は同感。「どんな人間でもこういった思考を必ず経るはずだ」とまでは決めつけない。しかし多かれ少なかれ、地球外知性の考察をしきた人は、人類を相対化して考える訓練ができているものと期待はする)
瀬名  ハードSF的な考え方というのを、うまく説明していただけるとありがたいんですが。
野尻  いや、私はまだそんなにハードじゃないかなと思うんですね。どうかなあ、瀬名さんと野田さんにいっぺん聞いてみたいと思ってたんだけど、宇宙生物というと生物に詳しい方ほどわりと堅い(保守的な)意見が出るんですよね。で、実際ハードSFといわれてるもので、ちゃんと生物のメカニズムをきちんと書いてる人って、実はほとんどないんですね。非常に雑なもんで、たぶん瀬名さんなんか読むとたぶん不満が大きいんじゃないかなあと思うわけです。にも関わらずハードSFファンはそれを不満に思わない……ですよね?
野田  不満です。
野尻  あ、そうですか(笑)。 
瀬名  野田さんはどういったところが不満に思われます? この小説はよかった、この小説は……とか。例えば野田さんはロバート・ソウヤーがすごくお好きですよね。
野田  ええ。
瀬名  僕も解説書いてるんけれども、たぶん野田さんは僕の小説はあんまりお好きじゃないと思うんですが(笑)。
野田  でもソウヤーの作品に関しても、「ダーマット」とかはあまりにも人間的すぎるじゃないですか(注:『スタープレックス』ハヤカワ文庫SF刊に登場する、可視光では見えない異星生物)。人間的すぎるっていい方変ですけども、ダーマットという生物が出てくるんです。すごい異質なわりには全然、それが異質なはずなのに異質じゃないというのがすごく腹が立つんですけど(笑)。
瀬名  野田さんの場合、その異質じゃない異質だというのはどのへんで区別していますか。直観的に?
野田  直観……。
野尻  まず価値観が違うということがある。好奇心を持っていて、知らないものは知りたがるというのは人間にもわかるメンタリティですが、それと全然違う行動原理で動いてるなあという感覚ですね。 
野田  そういうあまりにも違いすぎる原理で動かれてしまうと、今度はファーストコンタクト、たぶんできないと思いますので、ファーストコンタクトできる知性というのまた別問題になってきて、ダーマットはたぶんファーストコンタクトできる異質の、で、止まってる知性なんだと思うんですけども……。 
瀬名  会場の方で、ファーストコンタクトとかハードSFとかそういうのがお好きな方で、瀬名はよくわかってないんじゃないかと思われるところを指摘してくださる方はいらっしゃいますか。はい、どうぞ。
会場 =柳瀬直裕氏(岡田斗司夫事務所オタキング) 説明というよりも逆にちょっとどちらかというと瀬名さん寄りの、私もよくわからないという感じの話になると思うんですけど。個人的な話でいうと私、いま、岡田斗司夫という、過去にSF大会を仕掛けた事務所で働いているものなんですけども、非常にSF好きと。
 で、なんか知らないけどほかの友達もSF好きということで、誘われるままにファーストコンタクト・シミュレーションもさせていただいて、今年の四月にあったデイ・コンタクト・ジャパンという、ファーストコンタクト・シミュレーションの縮尺板、まあ一日でやってかなり無茶な……。
瀬名  それは野田さんと野尻さんもいらっしゃったやつ?
野田  はい。
柳瀬  ええ、もちろんいらっしゃったんです。それで去年、そのへんのファーストコンタクト・シミュレーションのときに、うちの岡田も一緒に行くという話だったんですが、当日ちょっと熱を出して行けなくなったというのがありまして。で、まあ名古屋であったんですけども、そちらのほうに行って、そのときの企画で、たしかに野尻さんが岡田と同じチーム……。
野尻  いえ。
柳瀬  あ、違いますか。三人とも同じチームだったんですね。岡田だけが別の、まあ相手役のチームというかたちで分かれまして、相手役の岡田のチームがつくった設定というのが、遺伝的な多様性を最大限に求めるという、まあたしかに無茶だなという部分があって、そしたらそれに関しては、ああ、そういうのもSFとしてはありなのかなあというふうに自分のなかで思ってたんですね。そうすると現実のほうでたしかに岡田はかなりSFファンというふうになるだろう、世間的には、というとこもあって、そしたら野田さんのほうの反応がいまいち芳しくなくて、ああ、SFファンてのもいろいろ価値観があるんだから。
瀬名  はい。
柳瀬  じゃ一方、岡田というのはSFファンとしてどうかといったときに、こっちとしては例えば一昨年か、「カウボーイ・ビバップ」というアニメがあって、うちの事務所でたまたま流行って。で、話してたときに、ああ、あれはなんか宇宙船のなかでタバコ吸ってるシーンがあって、あれはどうもリアルじゃないみたいな話をされて。だからSFファンというか、自分自身そんなにSF読んでるわけじゃないんで、SFファンとかSFというものが、そういうことが起きるたびに、あれっ、あれっ、ていう違和感が起きる。その違和感のたびに、あ、こういうことなのかな、こういうことなのかなっていうふうに、だんだん掴んでくるっていうのがあって。ひとついえるのは、まあ岡田の話とか聞いてると、やっぱり昔のっていうか、SFがいまより華やかだった頃というのは、ファンダムというかSF研究会であるとか、そういう「場」込みで成立してたというのがあって、いまみたいに本であるとか映像であるとか、そういうの個人とかで消費していくというのはちょっと、もう置かれてる状況が違うんじゃないかなあというのはちょっと感じたりてします。作品と自分自身の関係じゃなくて、ある意味読み方であるとかバックボーンとかを含めて、そういうような作品以外の部分の知識を伝える術というのが、いますごく弱まってるのかなと。
 で、そこのとこの情報を持ってる人と持ってない人というのが、もうそれは作品と個人という関係じゃない。全然違う立場に置かれちゃってるのかな。そのへんがなんかいろいろあっちこっちで、自分も感じる違和感含めて起きてることがあるんじゃないかなっていうのは思ってたんです。
瀬名  昔はそういう教育制度みたいなやつが、結局あったという……。
柳瀬  そうですね。
野尻  つまりそれはファンダム外と、要するに一人で読んでる人とファンダムにいる人の関係、濃度差が全然違うという……。
柳瀬  客観的にいっていま、瀬名さんのアンケートに書いてるような大学生とかが、かつて大学にSF研にいたような学生と同じような取扱いはできるかといったら、それはもう全然別の環境だし、べつの知識、教養がまず違うといういい方になっちゃうんじゃないかと思うんですけど。
瀬名  なるほど。実は教養ということとちょっと似てるかと思ったんですが、実はハードSFのさっきの三段階というのをメールでいただいたときに、考え方の方向性が訓練されないとわからないのかなという気がちょっとしたんですよね。
 で、これは実はSFに限らずとも、例えば本格ミステリーのやり方とか、いきなりたぶん麻耶雄嵩さんとか読んでも難しいんじゃないかって思うことがありますし。あと僕が看護学部で勤めているときに感じたのは、看護学部のやり方というのはやっぱり医学とか薬学とか農学と全然違うんですよね。だから同じような研究していてもディスカッションしても全然かみ合わないんですよね。そういうところがあったりするのかな。同じ事象を研究していても、考え方の方向性というのがちょっと違ったりするんじゃないかと。
 それでハードSFに関していうと、ひとつ僕が思ったのは、例えば人間以外の知性がどうだろうとかってまず考え自体が飛躍しているんじゃないか。そこからいろいろ演繹していくんだけども、日常生活ってここらへんにあったら、人間以外の知性ってどうだろうって考えた時点で、もうすでにポーンとここらへん(注:身振りで上のほうを示す)に行ってるような気がするんですよね。で、ここ(上の段階)からいろいろ話が続いていいって、そこから先はたぶんいろいろ筋道が立ってるんだけど、ここの間(地面から上に跳ぶまで)って実は一般の人が埋めるのってものすごく難しいんじゃないかなあと。それでたぶん僕の小説って、ここ(地面)からここ(上)まで階段を上がっていって、ここらへん(上の段階の一歩手前)に行くまでで終わるような小説なのかなあと、ちょっと思ったんですよね
野田  そうなんですよね。そこの書き方とても素晴らしいからこそ、その先を私は期待して読んでるんだと思いますんで……。 
野尻  それは非常にピンとくる説明だと思います。
瀬名  だからそれがもし教育制度によって違うということであれば、教育のされ方という問題に帰着しちゃうのかなあと思ったり……。どうでしょう。野尻さんはハードSFを楽しむには素質が必要であるという話をしてますよね。
野尻  ああ、そうですね。
瀬名  だから、素質というよりも結局はそういう教育なのかなあ、考え方の教育というものなのかなあとちょっと思ったんですけど、どうでしょう。
野尻  素質というとなにか「能力」みたいに聞こえちゃいますけど、「好み」というつもりです。人間というものを相対化してみる。人間世界から離れてそれを外から見る。そういうことを面白いと感じるのがSFの素質なんじゃないかと思うんです。これが純文学の人だったら、文学は人間を探求するものだ、と考える。だから人間から離れたらそれはつまらないと思っちゃう人もいるんじゃないかと。(野尻注:とはいえ、ある種の教育によって素質が発展することはよくある。SF仲間や先輩に本を薦められてセンスを身につけた人は少なくないだろう。私もその一人である。サークルの先輩諸氏の読書量に驚き、古本屋で海外SFを手当たり次第に買って乱読した時代があり、これが今の自分を作ったと思う)
瀬名  野田さんはどうですか。 
野田  そうですね。私は人間よりも人類を書いてる小説を読みたいと思ってしまうたぶんタイプなので、それを好きかどうかっていうのに演繹できるというのは、たしかにその通りだと思います。
瀬名  あとちょっと聞きたいんですが、野尻さんと野田さんはハードSFが好きだと思ったのはいつぐらいで、何を読んでハードSFファンだと思ったんでしょう。 
野田  私はたぶん大学に入って以降で、(ジェイムズ・P・)ホーガンが入口でした。それまでは大変、大変というか、このくらいの普通の高校生が読むような新井素子とかを読んでいて、大学入ってからホーガンとかいいはじめてそっちのほうにどんどん、こっちのほうが面白いと思ったので、とくにホーガンの『造物主(ライフメイカー)の掟』(創元SF文庫)というのがあって、あれの最初の二十ページが、私がたぶん生物学的にとても好きなSFなんですけども……。
瀬名  このセッションの前に「SF/ミステリの今」というのがあって、そこで森博嗣さんが、読んだSFは三冊ぐらいしかない、その中の一冊が『星を継ぐもの』(創元SF文庫)だったと、僕は後ろで聞いてたんですけど、あれは可能性としてゼロなので自分としては納得いかないといってましたよ(笑)。それで男が女になるような、『堕ちていく僕たち』(集英社)のほうが可能性がまだあり得るとかいう話をしていたんですけど(笑)。それは納得できます?
野尻  『星を継ぐもの』はハードSFファンがけっこう叩いたんです。ホーガン贔屓、ホーガン叩きって(笑)。
瀬名  そこでもまた流派があるわけですか(笑)。
野尻  いや、ハードSFの人はだいたい、あれの面白さわかるんですよ。ものすごく奇想天外な展開がざーっと続いて、しかも一応ロジックが通っていて、パズルがかみ合っていく面白さなんですけども、反面ちょっと運動法則的におかしいとか……。
野田  惑星の運行に注目する方はホーガン叩きいますよね。私はダンチェッカーの意見を大変重要視していたので、あんまり叩かないんですけども(笑)。
瀬名  そういう複雑な人間関係があるとは(笑)。
野尻  さっきの方は、こういう、いろいろ違和感のある意見を聞いて不快だと思います?
柳瀬  いや、全然。それは逆にリアルで面白いと思います。
野尻  こうやってぶつかり合いがら、なんかガヤガヤやってるのがファンダムかなあと。
瀬名  あとさっきのポーンと飛んだ話をするというのは、実は大学研究室なんかでもよくあることで、そういうばかばかしいアイデアみたいなのってよく話をするわけですよね。ただ大学の場合はサロンの中で終わっちゃうわけで。さっき声が大きいという話がありましたけど、サロンでの話が外に聞こえちゃっているということも、けっこう衝突の原因になってるのかなという気がしたんですが。
野田  私はメインの媒体が自分のウェブサイトの日記で、だいたい百人ぐらいしか読んでないので、そのうち三十人以上は顔が見えますので、内輪でしゃべっててたまたま通りかかって、何、これと思って去っていくか向かっていくだろうというので、内輪だと思っているんですけども、ウェブはそういう意味では恐いとこですよね。
野尻  声が大きいというよりもインフルエンスが大きいというのかな、説得力が強いというのかな、私なんか、でも野田さんが遺伝子のこと語りはじめると、もう、ハハッていう感じで平伏するわけですね。野田さんがだめだといったら、あ、そうか、だめなのか、と納得して黙っちゃうわけです。黙っちゃうというかそれ以上何も反論もできなくなっちゃって、そういう場合の声の強さというんですか。べつに大声でいってるわけじゃないんだけど、周りがそれで説得されちゃう。反論できなくなっちゃうという意味では影響力はけっこうあるんじゃないかなと。
瀬名  実際、そういう影響力というのはあると思われますでしょうか。皆さん、あんまりそんな関係ないという感じでしょうか。あまり意味がない感じですか。
大喜戸  あります。
野田  その声を聞いているのがたぶんSFファンじゃなくて、その周辺領域を読んでる方なのかな。
大喜戸  無視できないと思う。
瀬名  SFセミナーで「これはSFじゃないというな」という話をして、かなり反感を買ったわけなんですけど、それについてはどうでしょうか。意見があればどうぞ。
野尻  そうですね、私もあれはいかんと思うんですよ。いかんと思うんだけど、逆に褒め言葉でこれはSFだといわれると、ものすごく嬉しいんです。で、いい言葉が力を持つためには悪い言葉もなきゃいけないんですね。と『天空の城ラピュタ』にありましたけど、その悪い言葉、これはSFじゃないというのもやっぱりあるかなあと。
 一種、サッカーのフーリガンみたいな。あれはたしかに迷惑なんですよ。サッカーの普通のファンにとってもフーリガンは迷惑なんだけど、フーリガンの意見を聞いてみると「これは俺達の表現なんだ」というわけなんですね。それはそれでやっぱりひとつの文化かなあと思うし……。
瀬名  フーリガンは端から見ると非常に恐い集団なわけじゃないですか。
野尻  ええ、ていうかはっきりいうと犯罪者なんですね。犯罪者なんだけど(笑)、でもSFというのは文化じゃないですか。文化というものはなるべく寛大に捉えていきたいという気持ちがあって。「これはSFじゃない」といって、いいことは何もないんだけど、いいことが何もないからってやめちゃうんじゃ、それは文化としての扱いじゃないと思うんですね。
瀬名  うーん、なるほど。野田さんはどうでしょう。
野田  私はこれはSFじゃないというのと、たぶん私があといおうとすれば、これは科学じゃないっていうのと、これはやおいじゃないっていうのいうと思うんですよ(笑)。誰もこれはやおいじゃないっていういい方に対してはあまり反感を持ってる人いないですよね。
野尻  そもそもやおいじゃない(笑)。
瀬名  なるほどそうですね(笑)。
野田  『ふわふわの泉』はまずやおいじゃないと私も思うんですけど、ソウヤーの『占星師アフサンの遠見鏡』(ハヤカワ文庫SF)はやおいだと思うんですけど、そういうふうに心の中に線が引いてあると。(野田注:やおいに関する詳細は「蜜の厨房」、「まんがバカ一代」のやおいの花道などが参考になります)
 誰もやおいに対してはそんな反感を抱かないのに、SFじゃないといういい方に関してはすごい反感を抱くというか、その違いがなんか、SFだけはSFじゃないといってはいけないっていわれるようなのの原因かなって気がするんですけども。
瀬名  でも、これはやおいですかって人に聞いたりするかなあ。今日、「SF/ミステリの今」というセッションを聞いていたら、パネリスト(注:綾辻行人、西澤保彦、森博嗣、山田正紀)のうち山田さんを除いて全員、僕の小説はSFでしょうかって、司会の大森望さんにお伺いを立てるわけですね(笑)。だから何でしょうね。SFの内側と外側って話でいうと、外側の人がちょっとそういう超常的な設定の話を書いたり、科学的な話書いたりしたときに、SFファンの人やSF評論家の人にどう捉えられるのかって、すごく怯える感じがある。本当にこれは自分でもSFと呼んでいいんでしょうかという、そういう気持がかなりあるのかなあと思いましたが。
野尻  それはあると思いますよ。私いまだに自分がSFファンといい切る自信もなきゃ、SF作家っていい切る自信もないし、書いてる作品がこれはSFだといい切る気もほんとはないんです。一応いってるけど、名乗ってはいるけど、ずーっと試練が続いているという気がするんですね。 
瀬名  それは自分のなかで? 誰かがSFだっていうことをいっていて、それで考えてるということではなくて?
野尻  そういうのもありますけどね、自分の中でまず最初からあって、だからファンダムというのは針の筵みたいなところも少しはある。
瀬名  SFじゃないといういい方自体には、僕もそれはそれでわからなくもないんです。思い返してみたら、実は「○○は××じゃない」といういい方を僕も一回原稿でやったことがあったんですよ。で、それは、「これはドラえもんじゃない」といういい方なんですね(笑)。確かに自分でもそういう意味では使ってたことがあったなあと。そういいたい気分はわかるんですよね。ただ破壊力が大きいような気は確かにする。
 SFセミナーでも話したんですけど、結局この発言は「私にとってこれはわたし的なSFじゃない」ということですよね。
野田  そうですね。
瀬名  SFファンダムの中では、ほとんどそれは合意の上ですよね。だから主語が省かれちゃうんですけど、外から見るとSFファン総体としてSFかどうかというのを認定しているかのように思えてしまう。だから外から来た人にとっては、そういわれるとSFファンから総スカンを食らったような、すごい大ショックがあるんじゃないかと。それからSFファンの人にもときどき攻撃の矛先を間違える人がいる。つまり「SFじゃない」「SFだ」っていう論争は、SFファン同士の自己確認だと僕は思うんですよね。俺のSF観はこうだよっていうことの表明だと思うんですけど……。
野田  そうですね。
瀬名  ときどき作家に向かって、これはSFじゃないでしょうという人がいるので、作家側は困るんだというのが僕の意見ですね。これに関してはそんなに違和感はないでしょう?
野田  そうですね、その通りだと思います。
野尻  それはそうだと思います。 
瀬名  これについて、何かほかに意見ある方っていらっしゃいますか。


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