瀬名秀明の世界のミュージアムに行こう!
最終回 フランス編2
(月刊フィーチャー2000.1/pp.109-112)



美術品と建築物の間調和に引き込まれる

 ピカソ美術館を見学していたとき、突然視野が一直線に開け、遙か向こうに一枚の絵が浮かび上がった。ある場所に立つと、幾重にも繋がっている展示室を抜けて一番奥の部屋の壁まで見通すことができるのだ。視界の動く向きに合わせてに絵画が置かれている。唐突に私は「建築」に対して興味が湧いた。ミュージアムは絵画をどのように見せているのか?
 この連載のために四カ国八〇カ所以上のミュージアムを訪ね歩いた。その中で私が強く感じたのは、「ミュージアムとは“つながることの発見”を愉しむ場所なのだ」ということだった。
 以前にも書いたが、海外のミュージアムではよく小中学生の課外授業がおこなわれる。ある美術館で、私はそれとなく生徒たちの脇に立ち、授業を盗み聞きしてみた。先生は大きな風景画の前に生徒たちを座らせていた。昔の港町を描いた絵で、手前に引き揚げ場や宿があり、その向こうは海という構図だ。太陽の光が海面に反射している。先生は矢継ぎ早に質問を始めた。「この絵はいつの時代を描いたものだと思う?」「この人たちは何をしているの?」「季節はいつ? 時間は?」「なぜ水は光を反射するの?」
 驚いてしまった。絵画の技法や作者の経歴の解説ではないのだ。目の前の絵をきっかけにして、先生の質問は鳥のように自由に飛び回る。そして生徒たちもその質問にどんどん喰らいついてゆく。果たして自分はこんな授業ができるだろうか? 美術から歴史、地理、自然科学の基礎までを網羅しつつ軽やかに語り合うことができるか? 先生も生徒も柔軟な思考力と膨大な知識を持っていなければとても成立しない作業である。ものごとをリンクさせる力を促し、アイデアを出すことの面白さを学ばせる。これこそがミュージアムの醍醐味なのだ。
 正直にいって、私はこれまで建築物にほとんど興味がなかった。誰かの家に行ったときも、間取りや調度品を細かくチェックしたりはしない。それなのにたった一枚の絵でミュージアムの「立ち振る舞い」が気になってしまったのだから我ながら不思議だ。
 ピカソはスペインの出身だが、フランス(パリや南仏)に長年にわたって住み続けたことは有名である。当時のフランス人は必ずしもピカソの絵に対して好意的ではなかったようだが、それでも彼が住み続けたのはフランスが刺激的だったからだろう。彼の死後、フランス政府は相続税としてその作品を受け入れ、これがピカソ美術館の収蔵品の基礎となった。
 この美術館は一七世紀半ばに建てられた塩税徴収人の屋敷がもとになっている。玄関を入るとすぐに大階段があり、まず二階に上がって年代順に作品を見て行くことになる。続いて一階に降り、かつての厩舎を改築したガラス天井の「彫刻の庭」を抜け、地下に潜って絵画やオブジェを見てから一階の晩年作品に向かう。
 面白かったのは「彫刻の庭」からくねくねと階段を下りて地下に行くところだ。途中、採光用の穴がいくつか壁に開けられているのだが、ちょうど穴の向こうに重要作品が見えるように展示が工夫されている。なにげなく歩いていると不意にピカソの愛人マリー=テレーズの肖像画が目に飛び込んでくるのだから嬉しい。海外のミュージアムが奥行きに富んでいるのは、このように歩く愉しみがあるからだろう。
「どうしてピカソは横縞のシャツが好きだったんですか?」
 取材の最後、唐突に編集者Tさんが質問をした。どうやら長年の疑問だったらしい。キュレーターのジャン=ピエール氏は、苦笑しながらもちゃんと答えてくれた。「ボーダーシャツの写真ですね。ピカソは晩年よく写真に撮られたんですが、たまたま横縞のシャツを着ている写真が有名になってしまって、そのイメージが広がったのでしょう。特に横縞が好きだったというわけではありませんよ」


一九〇〇年には駅だったオルセー美術館

 視界の愉しみということならオルセー美術館はずば抜けている。館内に入ると、まずは高いドーム天井に目を瞠る。中心線に沿って奥まで彫刻が並んでおり、通路の両脇はスクウェアな感じの壁が立てられている。この段階ではまだ一点も絵画が見えない。天井のガラスから注ぐ光が心地よく、建物それ自体がひとつの巨大な美術品のような印象を受ける。
「オルセー美術館はさまざまなアートを展示したいと思っています。残念ながら絵画に比べて彫刻はあまり関心が持たれないので、あえて彫刻を中心に持ってきたんですよ。この建物は一九世紀のもので、金属やガラスが効果的に使われています。彫刻を飾るのにちょうどいい空間でしょう?」
 案内して下さったキュレーターのエマニュエルさんが嬉しそうに笑う。実はこのオルセー美術館、もともとは一九〇〇年のパリ万博のために建てられたオルレアン駅で、彫刻が据えられている中央通路はプラットホームだったのだ。
 その彫刻の道に沿って歩いて行くと、両脇の壁の向こうにアングルの「泉」やミレーの「落穂拾い」が現れる。これはかなり衝撃的だ。小学生の頃から教科書で見慣れている絵の実物が突然目に飛び込んでくるのである。ちょうど絵画展示室の入口から主力作品が見えるように配置されているのだ。時間のない観客は中央通路を歩くだけでオルセーが堪能できる仕組みである。
 視界に入った絵画に惹かれて脇に足を踏み入れてゆくと、今度はテーマや技法ごとに細かく区切られた無数の展示室が広がっている。二階は左右に長く続くテラスがあり、地上階の中央通路を見渡せる。エスカレーターや渡り廊下にもちょっとしたビューポイントが仕掛けられている。三階西側の回廊は白い壁に黒い列柱というリズミカルな構成が楽しい。さらに三階喫茶室ではオーソン・ウェルズの映画に出てきた大時計越しにモンマルトルのサクレ・クール寺院が見渡せる。
 つまりオルセー美術館では、絵画や彫刻、工芸品そのものだけが鑑賞の対象なのではなく、それらを取り巻く環境全体が芸術作品なのである。私たちの見渡す空間がすなわちフレームとなるのだ。そのため複数の作品を自分の視界に置き、独自のアンサンブルも楽しめる。例えばカルポーの「ウゴリーノ」という彫刻の向こうにクチュールの「頽廃期のローマ人達」という大作を見てみよう。ぐるりと身体を一回転させてセザンヌを浴びてみよう。
 印象派の絵が一カ所にまとまっておらず、一階と三階というように分散されているのも面白い。これは『パリ オルセ美術館と印象派の旅』の丹尾安典によればオルセーが各作品の「同時代性」を強調させようとしているからなのだそうだ。なるほど、確かに印象派が確立される前のマネ、モネ、ルノワールの作品をひとつの視野で眺めると、新しい技法が世に出現する瞬間の危うさと瑞々しさが伝わってくる。
 このような置き方が一階にあるからこそ、三階の作家別の展示が圧倒的に迫ってくるのだろう。モネの部屋には「ルアン大聖堂」の連作がずらりと五つも並んでいた。ほぼ同じ構図の作品だけに、色遣いや影の向きが全く違うことが一目でわかる。
「モネは大聖堂が見える部屋でいくつものイーゼルを立てて、時間ごとにキャンバスを替えて描いていったんです。まだ陽が上がらない朝、午前一〇時、一二時、夕方……。ほら、色調も青から重厚な赤に変わっているでしょう」
 オルセー美術館でもっとも人気のある絵はがきは何か訊いてみた。なんと中央ドームの大時計だそうだ。なるほどと大いに納得してしまった。溢れんばかりの数の名画よりも、みんなオルセーの建物そのものが大好きなのだ。


無限のリンクを感じるばそれがミュージアムの愉しみ

 海外のミュージアムが日本のミュージアムともっとも異なる点は、必ずしもミュージアムとして機能が洗練されていないことだろう。もとから存在していた屋敷や城を改築して、わざわざミュージアムに仕立てているのだ。初めにあった部屋の間取りに合わせてミュージアムの機能が構築されているため、却ってそれがミュージアムの個性を生み出しているともいえる。一方、日本のミュージアムは展示する品物に合わせて箱(建物)を作ってしまう。機能的で見やすいが、意外性に欠け、単調になりやすい。遊びの部分が少ないのである。
 しかし歴史を振り返ってみると、ミュージアムというものは最初からいまのような形で人々の前に現れたわけではない。もともとは金持ちの好事家が自分のコレクションを屋敷の一室に収蔵し、そこに友人を呼んで自慢することから始まったのだ。昔のコレクションルームを描いた絵画を見てみると、ごちゃごちゃと部屋一杯に美術品が掲げられていたことがわかる。
 ジロティ&ブイレの『美術館とは何か』という本にそのあたりのことが図入りで説明されていて興味深い。時代と共に絵画の展示方法が移り変わってゆく様子が記されている。一八世紀の美術館では壁全体を覆うように絵が架けられており、いまの私たちからすると非常に窮屈な印象である。ところが一九世紀になると絵画を壁に横一列に並べ、左右対称となるように大きさを調節する展示法が好まれるようになり、やがていま私たちが美術館で見るように絵画の下方を一直線に揃える手法が確立する。大きな美術館に行くと、展示している絵画の年代によってディスプレイ方法を微妙に変え、当時の雰囲気を出そうとしているところが多い。
 こういったミュージアムの変遷をその身で受けてきた最大の証人がルーブル美術館といってもいいだろう。歴史は古く、起源は一二世紀末に当時の王フィリップ二世が建てた要塞にまで遡れる。一六世紀にフランソワ一世が王宮に改造、彼は美術を好み、ラファエロやダ・ヴィンチの作品を集めた。その後の王たちがルーブルをさらに拡張、そして先月紹介したようにルイ一四世がサン・ジェルマン・アン・レイ城を経てヴェルサイユに宮殿を移す。以来ルーブル宮は荒れ果てることになるが、一八世紀末に起こったフランス革命を境にしてナショナリズムの概念が起こり、美術品は文化遺産であるとの考え方から王室コレクションを公開する国民公会の決定が下され、ルーブル美術館ができあがってゆくのである。
 その後もルーブルは何度かドラマチックな変貌を遂げている。中央のナポレオン広場にピラミッド型の入口が建設され、宮殿全体がミュージアムに利用されるようになったのは、ミッテラン大統領のグラン・プロジェ(グランド・プロジェクト)によるものだ。
 現在のルーブルは三つの大きな翼から成り、とても一日では回り切れない。「モナリザ」や「ミロのヴィーナス」に辿り着くだけで疲れてしまうかもしれない。もし足が痛くなったら椅子に座って休み、ぼんやりと天井や扉の装飾を眺めてみるといい。ルーベンスのホールで三〇分くらい大作に囲まれて壮大な物語に浸るのもいいだろう。彫刻がゆったりと置かれている大サロン(マルリーとピュジェの中庭)で、ガラス天井から射し込むぽかぽかとした光を浴びるのもお薦めだ。タイルの模様が美しいカリアティッドの間や豪華なアポロの間、そして体力が回復したらナポレオン三世の居室(大広間や食堂)を訪れてみよう。薄暗い空間に浮かび上がる、中世時代のルーブルの城跡をじっと見つめてみよう。
 つまりミュージアムとは“つながること”の愉しさなのだ。はじめはたった一枚の絵画かもしれない。ちっぽけな考古品かもしれない。あるいは現代美術の先端を行くおしゃれなクリエイターの一言かもしれない。興味を持った瞬間から、私たちはそれと“つながる”何かを無意識のうちに求め出す。“つながった”ときに感じる意外性、発見、驚き、興奮、疑問、それらがまた私たちを新たな“つながり”へと導いてゆく。無限のリンクが潜んでいる空間、それがミュージアムなのである。



今月の飛び込みミュージアム
Musee de la Poupee
人形博物館

 ポンピドゥー・センターからひとつ奥の路地に入ると、オディン父子が経営する愛らしいフランス人形博物館がある。年代別にまとめられた展示はじっくり見学するのに最適。紙や木製のものからセルロイド製を経てビスク(素焼き)へと進むにつれ、人形制作は工業化され、大量生産商品へと変化してゆく。これによって人形は伝統工芸品から子供の遊び道具になったのだ。ジュモーやゴルチエなどの名品が並ぶこの博物館の特徴は、なんといってもディスプレイ法。人形が発売されていた時代の女性たちの服装や装飾品を再現するだけでなく、オーナーのオディン氏自らがショウケースの背景画を描き、当時のパリの雰囲気を見事に演出している。個々の人形の表情にも注目。口が開いているほうが希少価値が高いとか、「哀しみの表情」の人形がコレクターに人気が高いなんて知っていました? 寄り目の赤ちゃん人形や、最近のキャラクター人形ベカサンも可愛い! 



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