瀬名秀明の世界のミュージアムに行こう!
第7回 フランス編1
(月刊フィーチャー1999.12/pp.117-120))
偉才ビュフォンが広めたパリ博物館の魅力を堪能第7回 フランス編1
(月刊フィーチャー1999.12/pp.117-120))
博物学! これこそ少年の永遠の夢だと断言したい。野原や海辺を駆け回り、蝉や甲虫や貝殻を集めては標本箱にしまい込み、採集場所と名前をラベルし、リストを作っては書き直し、やって来た友達にこっそりと、そして誇らしげに箱を見せ……。子供の頃、誰でも男子は多かれ少なかれこんな作業に没頭していたはずである。一生好きなものを集めて比べて眺めていたらどれほど楽しいことだろう。実はそんな少年時代の夢が結晶化した楽園がパリに存在する。歴史的な王立植物園だ。ルイ一三世の勅命によって造られたこの植物園は、ビュフォンという途轍もない偉才によって一八世紀に世界的な博物学研究施設となったのである。
地球上に存在する無数の生物をどうやって分類すればいいのか? その問題に画期的なアイデアを投入したのが一八世紀に活躍したスウェーデンの科学者カール・リンネだ。リンネは植物を生殖器官である花の形で区別する手法を開発、分類学を創った。彼のよきライバルとなったのがフランスのビュフォンである。彼が一八世紀半ばから刊行した『一般と個別の博物誌』というシリーズは、珍しい動植物の美しいカラーイラストが満載で、発売と共にパリ上流階級の間で大ベストセラーとなったのである。また彼は週に二回植物園を一般公開、これも大盛況だったという。ビュフォンによって博物学は一気に一般市民に広まったのだ。彼の後継者ラマルクは斬新な進化論を提唱(キリンの首が長くなったのは高いところの葉を食べたかったから、という用不用説)、現代まで続く進化論ブームの発端を作ったといっていい。
これだけでもパリ王立植物園のすごさがわかるのではないかと思う。現在この敷地内には鉱物学ギャラリー(キュリー夫人の使ったラジウムがある!)や熱帯大温室(虹色の建物が芸術的!)、古生物学&比較解剖学ギャラリー(奇形児の骨格標本も!)など、通好みの博物館がずらりと並ぶ。だが、パリ博物学の魅力を充分に堪能したいなら、「進化のグランドギャラリー」は絶対に見逃せない。
とにかく「いのち:驚異のスペクタクル」と題された一階大ホールの迫力に目を瞠らされる。ゾウやカバやキリンの剥製が行進するようにずらりと並ぶ。その両脇のガラスケースに収められているのは昆虫類や鳥類などの無数の標本である。最上階から見下ろすと、まさに「生命の大爆発」といった感じなのだ。いのちの多様性をこれほど見事に視覚で訴えかけた展示は他にないといっていい。
各階の細かい展示も、進化論ファンならニヤリとするような心憎いものばかりだ。トウモロコシが人の手によってどのように品種改良されてきたのか。環境汚染によって昆虫の形態がどのように変化したのか。一度はどこかで読んだことのあるエピソードが目の前に現れる楽しさ。絶滅動物の標本コーナーも実にいい雰囲気である。各展示の説明文はフランス語だが、読めなくても構いはしない。見ているだけでもだいたいの内容は理解できる(そういえばここで初めて知ったのだが、「DNA」をフランス語では「ADN」と表記する!)。
そしてもしこの「進化のグランドギャラリー」で博物学に興味を抱かれたら、帰国後ぜひとも近くの図書館に出向き、荒俣宏の『世界大博物学図鑑』や『アラマタ図像館』、あるいは『ビュフォンの博物誌』を眺めてみてほしい。次から次へと現れる驚異のカラーイラストを前に、きっとあなたも自然と生命の大迫力、そしてそのすべてをページの中に閉じこめようとした人類の途轍もない野心とスケールの大きさに圧倒され、肌に震えを感じることだろう。世界最高の標本箱が本に凝縮されているのだ。生物の多様性を目で実感し、驚く。これこそが博物学の面白さなのである。
標本の域を越えた死の芸術空間
パリ大学医学部の建物の八階に、世界で最も長い歴史を持つ解剖学ミュージアム「デルマー・オルフィラ解剖学博物館」がある。一般客は予約しないと入場できない。だが各国から噂を聞きつけた画家や美術家の訪問が絶えないことからもわかるように、ここは単なる医学部の標本室の域を超えたゴージャスな死の芸術空間なのである。
解剖学はフランス革命に湧くパリで飛躍的な発展を遂げた。もちろんそれ以前にも人体の機能に興味を抱く人はいたのだが、その成果の流布はダ・ヴィンチのデッサンのように、もっぱら絵画の力に依存していた。一七世紀には蝋細工による人体標本が制作されるようになるものの、それでも当時の標本陳列室は、まだまだ珍奇なものを並べるだけで、好事家の「好奇心キャビネット」に過ぎなかったのである。
ところがフランス革命が起こると市内は大量の死者で溢れ始める。当時は死体の保存方法も確立していなかった。これが解剖学者に幸いする。いくらでも人体標本サンプルを手に入れることができるのだ! そして一八四七年、当時の医学部長オフェリアによって本格的な解剖学標本のミュージアムが設立される。オフェリアはロンドンのハンター博物館という比較解剖学の博物館を訪れて非常な感銘を受け、それと同様な施設をパリにも作ろうとしたのである。その後、一時期これらの標本は忘れられていたが、今世紀半ばになってデルマー博士らにより再評価された。現在はなんと約五八〇〇点もの解剖学標本が保存されている。
解剖学というとホルマリン漬けの内臓や古ぼけた骨格標本ばかりを思い浮かべる方もいるかもしれない。だが、例えばこの博物館にある最も古い蝋細工標本を見るだけで、そんな固定観念は吹っ飛んでしまうだろう。血管と筋肉がむき出しになったヒトの頭部。左目をかっと見開いて天空を見据えるその首の生々しさ、妖しい美しさ。およそ三〇〇年前に作られたものだということがにわかには信じられない。
異様な美しさという点では引けを取らないのが、外科医オノレ・フラゴナールらによって作成された人体乾燥標本である。有名な画家フラゴナールのいとこにあたる彼は世界で二番目に建てられた獣医学校の教授となり、そこで動物やヒトの解剖標本づくりに熱中した。デザイン性・芸術性を過度に意識して切開された標本は、ニスによって防腐処理が施されている。許可を得ておそるおそる触ってみると、なるほどなめし皮となってカリカリと硬い。異形のポーズを取りながらオブジェと化した人体の干物。その前には製作者のネームプレートが置かれている。大仕事をやり遂げた彫刻家が、誇らしげに自分の名を掲げるかのように。
一九世紀半ばに衛生博覧会の巡回公演をして歩いたシュピッツナーの解剖蝋人形コレクションも充実している。衛生知識の普及という大名目を唱えた衛生博覧会は、怖いもの見たさの大衆の心をうまく刺激し、大流行した。当時の眼球手術の手順を表現した一連のシリーズなど、じっと見ているとほとんどトリップしそうな危うさである。メスを持つ手はまるで幽霊のように宙に浮き、容赦なく人を切り刻む。このほか梅毒に冒された生殖器官のモデルなども置かれていたが、生々しすぎてとてもこの雑誌には掲載できない。
ブローカのコレクションも面白い。脳の特定の部分に傷を負った兵士が言語機能に障害を持ったことに注目したブローカは、脳機能局在論を提唱した。彼が研究した脳の型取り標本がなんと九二個も陳列されている。微妙にしわの形が違う脳が整然と並べられているさまは圧巻だ。以前『BRAIN VALLEY』という小説を書いたときにブローカのことも調べたが、この光景を事前に見ていたら小説の表現も少し変わったかもしれない。
プリミティブな創造物が物語る民族のダイナミズム
パリ市街から西へ約二〇キロのところに建つ荘厳なサン・ジェルマン・アン・レイ城。ベルサイユ宮殿建設中はあのルイ一四世が住んでいたというこの城は、現在世界最大の先史時代美術コレクションを誇るフランス国立考古学博物館となっている。王宮のきらびやかな装飾品は残されていないが、どっしりとした石造りのその建築様式は考古学の展示場にふさわしい。
フランスの考古学好きは有名である。ナポレオン・ボナパルトの時代にはエジプトブームが起こり、後にシャンポリオンがロゼッタストーンのヒエログリフを解読したことはご存じの通りだ。この考古学博物館もナポレオン三世によって創設された。フランス人の祖先であるガリア人の遺物を中心に、旧石器時代からの考古品が約三〇〇万点も収集されている。日本でぼんやり暮らしているときは決して感じることのない「民族」のダイナミズムが、ここを見学しているとひしひしと伝わってくる。民族は動くものであり、衝突し干渉し合い歴史を創り上げるものなのだという単純な事実に気づかされる。
先史時代の遺物というと、南西フランスはドルドーニュ地方の洞窟壁画が名高い。この考古学博物館にはあのラスコーの洞窟で発見された石のランプが展示されている。およそ二万年前、クロマニヨン人はおそらくこのランプを使って牛の壁画を描いたのである。二万年前といわれても咄嗟に想像がつかないが、素朴な遺物群をじっと眺めていると、やがてコンデンスされた時空が身体に滲み込んでくる。例えば同じ部屋に展示されている小さな小さな彫像「ブラッサンプーイの貴婦人」だ。女性の頭部を象ったもので、約二万二千年前のものと推定されているが、なんとこれは人の顔を表現した最古の作品なのだという。考えてみてほしい。二万二千年より以前、なんと私たちの祖先は己の顔を石に刻むという芸術的素養を持ち合わせていなかったのだ! これより前の彫刻品はというと、豊満な女性のトルソ(胴体部分だけの彫像)になってしまう。こちらはあまりにもデフォルメされていて、一瞥しただけでは肉体なのかネズミの脳なのかさえ判別できない。膨大な時間によって培われた「表現力」の進化!
フランス人の祖先ガリア人はもともとケルト人だ。鉄器が普及した紀元前五〇〇年前頃、民族大移動が起こり、多くの地でケルト人は先住民族と混じり合ったが、イギリスとフランス地域では彼ら独自の文化がかなり保持されることになる。ガリア人は力強さ、逞しさを好み、酒や金を愛する唯物主義者だった。博物館には当時の戦士の墓(二層になっていて戦車とともに埋葬されている)や、黄金と七宝でできたヘルメットなどが展示されている。
後にガリアはローマ人から侵攻を受ける。カエサルの『ガリア戦記』だ。ガリアはこれに抵抗、セーヌ川上流のアレシアの丘で決戦がおこなわれた。カエサル軍は濠を掘ってガレア軍を砦に追い込み、食糧経路を絶つ。これによってガリアは敗北、ローマの植民地となった(この砦の緊迫した攻防について、博物館ではモデルを用いてわかりやすく説明している)。だがこの植民地化はガリアにとって結果的に繁栄をもたらした。工業化が進み、都市が建築された。ガロ・ロマン文化である。
しかし三世紀に入るとゲルマン大移動が起こり、ガリアも西ゴート人に攻め入られる。当時の女性の装身具も展示されているが、ゴート人の略奪に遭ったものも数多くあっただろう。
ファンタジーやRPGの中でしか出会うことのない古代ヨーロッパの世界。ともすると私たちはそれを遠い異次元世界での出来事と感じてしまう。だが確かにその時代、かつての人類は戦争で互いに血を流し、ワインを飲み、おしゃれを楽しみ、家を建てて町を築いた。確かに彼らは生活をしていた。生活のために無数のものを生産した。装飾品、奇妙なデザインの彫像、鋳型による大量生産工業品や農具、そして斧や剣。彼らはそれらとともに生き、それらとともに死んでいった。
そう、死んでいった。それらが後に博物館の陳列棚に収められ、自分たちの生活を無言で語ることなど、おそらくこれっぽっちも想像せずに。
Musee du Vin
ワイン博物館
フランスといえばワインである。シャイヨー宮からほど近い丘のふもとにあるワイン博物館は、観光の穴場的な雰囲気が受けてか、逆にいつも超満員だ。もともと修道院のワイン貯蔵庫だった穴倉をそのままミュージアムにしてしまったのが面白い。かつてはこの貯蔵庫の前に鉱水が湧き出し、18世紀には多くの文化人が集ったという。博物館の中はさながらダンジョンのようで、ブドウの栽培に用いられた鍬や粉砕器、各地方のワイングラスやデカンタなどが展示されている。巨大なワインボトルやねじ式のロウソク立て、化学実験室から持ち出してきたようなワイン醸造用の器具類も楽しい。細菌学者パスツールとワイン製造の意外な深い関係も勉強できる。ひととおり展示を見て回った後のワイン試飲サービスも嬉しい。館内の一角はレストランになっていて、こちらもなかなか洒落た雰囲気。中世風の長机に座りながら、ロウソクの光で昼食をどうぞ。