瀬名秀明の世界のミュージアムに行こう!
第6回 イギリス編2
(月刊フィーチャー1999.11/pp.119-122)



S・ホームズが生きていたもうひとつのロンドン

 ベーカー街二二一番地B。推理小説にのめり込んだ人間にとってこの番地は特別だ。シャーロック・ホームズとワトソン博士の下宿先なのである。私自身、イギリスについて何も知らない子供の頃からこの番地だけは暗記していた。ロンドンに来たからには、まずここを訪れないわけにはいかない。
「小学生のとき、ロンドンに出張する父親に、ベーカー街を訪ねてきてほしいとねだったことがあるんです。でもそこはホームズ関係の建物は何もなかったらしくて、父親がすまなそうに帰ってきました。ひどくがっかりしたのを覚えていますよ」
 そういうと、シャーロック・ホームズ博物館のオーナーのグレースさんは大きく頷いた。
「ホームズは全世界の人に愛されています。これまで海外からやってきたみなさんは、このベーカー街に来てホームズと再会できないと失望していました。ここはみなさんの見たいものが見られる博物館です。私たちは、みなさんのイマジネーションを掻き立てるような展示を心がけているんです」
 コナン・ドイルがホームズを生み出した一八八七年、ベーカー街に二二一番地は存在しなかった。ドイルは架空の番地を設定し、そこにホームズを住まわせたのだ。ところがその後ベーカー街は伸長し、現実に二二一番地が出来てしまった。いまそこに建てられているのはアビーハウスという金融会社のビルである。そこからわずか数十歩の距離のところにシャーロック・ホームズ博物館が誕生した。一八一五年に建てられたロッジハウスを改造したのだが、グレースさんの予想は大当たりで、いまでは観光客の人気スポットになっている。私が行ったときも、次から次へと客がやってきて、狭い館内はごったがえしていた。
 一七段の細い階段(原作通り!)を昇って行くとヴィクトリア調の部屋がある。「ホームズの書斎」だ。実験器具や手術道具鞄にヴァイオリン、テーブルの上に置かれたハンチング帽とパイプ。いかにもホームズが使っていたと思わせるような小道具が雑然と置かれている。隣はホームズの寝室、そして三階は展示室になったハドソン夫人の寝室だ。壊れたナポレオン像や「悪魔の足」、さらには「技師の親指」までもがショーケースに収められている。見学していると当時の服装そのままの上品な女性がふらりと部屋に入ってきて驚いた。なんと博物館が雇った「ハドソン夫人」だったのである。
 書斎の前の名刺受けは世界各国から来た来訪者の名刺で溢れていた。
「多くの人がここを二度、三度と訪れるんです。名刺を見ると、弁護士や会社経営者などもたくさんいます。みんなここでは子供に戻るんですよ」
 なるほど、確かに客の見たいものを展示する、イギリスの洒落っ気たっぷりな「博物館」だ。昔の文士の家を建て替えた記念館に来ているような雰囲気なのだが、考えてみればそういった感覚が架空の人物の博物館で共有できるのはすごい。私たちは「ホームズが実際に生きていたもうひとつのロンドン」という架空の世界を創り上げ、その中に入り込んで、ホームズの生家を訪れる観光客という役割を演技しているわけである。これが実に楽しい。
 そのロール・プレイングにすんなり参加できるのも、博物館の室内装飾がしっかりしているからだろう。本当にホームズが住んでいたと思わせるような雰囲気になっている。聞くと建物の造りや家具類はヴィクトリア時代のそれを忠実に再現しているのだそうだ。
「ここはホームズという架空の人物を通してヴィクトリア時代を学んでもらうための博物館でもあるんです」
 細部への配慮の積み重ねが「伝説」を博物館に昇華させることに成功したのだ。博物館のパンフレットは次のように締めくくられていた。
「世界中、何千もの人々がシャーロック・ホームズに手紙を書き送り、彼にちなんだクラブや協会を設立し、記念日を祝ってきました。そして今、彼を訪問できるようにさえなったのです。伝説とは、このようにして作られるのではないでしょうか?」


伝説以上の事実を露にするナイチンゲール博物館

「看護婦って極端なイメージしかないのよね。純真な白衣の天使か、風俗か」
 私の勤務する大学で、よく看護学部の教授がそんなふうに愚痴を漏らす。ナイチンゲールもまた「伝説」が一人歩きしている人物だろう。クリミア戦争時、ランタンを掲げて負傷兵を見て回る白衣の天使……。女性の優しさ、奉仕の精神の象徴として、ナイチンゲールはとらえられがちだ。実際、そのイメージに憧れて看護学部を志望してくる学生も多い。
 だが私も知らなかったのだが、ナイチンゲールの真の業績がクリミア戦争から帰ってきた後にあったのだ。「伝説」から「事実」へ、観客をどのように引っ張り込むか。その難しい問題に、フローレンス・ナイチンゲール博物館は真正面から取り組んでいる。
 一八二〇年、ナイチンゲールは裕福な家庭に生まれた。一七歳から三〇歳にかけて家族と共にエジプトやローマ、イタリアなどを周っている。各国の言葉も学んだようで、かなりのインテリだった。一七歳のとき、彼女は神の啓示を受ける。「もう無駄なことはやめて神の意志について考えたい」と思うようになるが、両親の反対にあい三三歳でようやく病院に勤め始める。当時、看護婦は階級の低い女性が就く職業だと思われていた。良家の子女がその中に入っていったのだから、かなり好奇の目で見られたに違いない。
 上映されている彼女の一生を紹介するビデオを見ながら、もしかしたらナイチンゲールは豊かな自分の家庭に嫌気がさし、そこから逃れるために看護婦になったのではないか、との思いが過ぎった。およそ「偉人伝」にはふさわしくない仮説だが、そんな失礼な感想も否定しない度量がそのビデオにはあった。日本のTVの伝記番組などではよく物語性が押しつけがましく強調されるが、そのビデオは淡々と事実のみを紹介する構成で好感が持てた。
 一八五四年、ナイチンゲールはクリミア戦争の戦場に赴く。そこでの活躍がイギリスで大々的に報道され、時の人となっていったわけだ。だがその後、ナイチンゲールは九〇歳まで生きている。彼女が生涯で著した本はなんと二〇〇冊。単なる「白衣の天使」ではなかったことがこれだけでもわかる。
 帰国後、彼女は「ナイチンゲール基金」で集めた資金をもとにナースの現代的なトレーニングシステムを確立、ナースの学校を支援した。またクリミア戦争での兵士の死亡原因を調査し、戦争で受けた怪我による死者よりもコレラなどの病原菌に感染して死んだ者のほうが遙かに多かったことを統計学的に実証、野戦病院での衛生管理の向上を促す。さらにセント・トーマス病院の再築のときには自ら病棟を設計、開放的で機能的な医療環境を実現。また「いまの病院は金持ちの患者が来るところになってしまっている。将来的にはすべての病人を家で看護するべき」と地域看護の概念も提唱した。つまり現代看護学のほとんどの領域の礎を築き上げたことになる。エレガントで信心深かったというナイチンゲールは、生ぬるい「伝説」に押し込められるような人物ではない。実は優れた実業家であり、また画期的な科学者・教育者でもあったのだ。
 伝説と事実の関係について、さらに考える手がかりを探していると、ナイチンゲールについて授業するために先生たちが使う教育パックを見つけた。実はこれまでも取材中、多くのミュージアムで小中学生の課外授業に遭遇してきた。生徒たちを絵の前に集めて座らせ、その絵について先生がいろいろな質問を投げかける。たった一枚の絵に一〇分も二〇分もかけるのだ。端で見ていて驚くのは、生徒がよく手を挙げて発表することである。欧米ならではの活気のよさが羨ましくなるが、もしかしたらこういった課外授業に慣れているのかもしれない。ミュージアムという空間の中で、授業風景が浮き上がらないのはさすがである。
 ナイチンゲール博物館の教育パックの中には、一八五六年に取られたナイチンゲールの肖像写真がフリップになって入っていた。ちょうどクリミア戦争から帰ってきた直後に撮られたものだ。裏には生徒への質問事項が書いてあり、先生はそれを見ながら授業を進めるのだが、この質問が面白い。こんな具合だ。「ナイチンゲールの脇に家具が写っています。なぜ彼女は家具の横に立っているのですか?」
 ナイチンゲールのことについて訊かないで家具について質問するとは! フリップには正解が書かれていないので、先生自身も答を考えなければならない。おそらく、当時の写真の撮影時間が長かったというのが答だろう。レンズの蓋を取って一〇秒も二〇秒も待たなければならず、その間じっとしているためには何かに寄り掛かる必要があったに違いない。そのために家具が写り込んでいるのだ、と私は思う。 
 それにしても、ナイチンゲールの写真から一四〇年前の写真技術にまで思いを巡らせてしまうこの広がり。これぞ教育だ! と感心してしまう。そしておそらくこの広がりこそが、「伝説」にはない「事実」の強みなのだ。


「事実」と「伝説」の間を埋めるもの

 伝説と事実のせめぎ合いについて考え始めるようになったのも、ロンドンのナショナル・ギャラリーで見た一枚の絵がきっかけだった。ポール・ドラロシュという画家の大作「レディ・ジェーン・グレンの処刑」である。

 薄暗い室内の中央に浮かび上がる、純白のサテンのドレスをまとった女性、ジェーン・グレン。彼女は目隠しをされ、断頭台へ導かれようとしている。左側には嘆き悲しむ女性たち。そして右には斧を持った死刑執行人が、哀れみの表情を浮かべている。

 ジェーン・グレンは一五五三年に一七歳の若さでイギリス女王となった。しかし即位後わずか九日後に政治的策略により大逆罪に問われ、ロンドン塔で死刑に処された。絵の中の彼女は淡い桃色の肌で、その美しさは息を呑むほどだ。清らかな乙女を翻弄する悲運、などというフレーズを浮かべる暇もなく、よくできた映画を観たときのように、私はその絵に感動したのである。

 ところが絵に添えられている説明文を読んで愕然としてしまった。実際のジェーン・グレンは屋外で処刑されたという。しかも当日は白いドレスなど着ておらず、実際は自らの意志で断頭台に向かったという。画家はよりドラマチックにするために史実を歪曲したわけである。私は混乱した。この絵が嘘だというのなら、これを見て感動してしまった自分はいったい何なのか? 
 違う。「感動」とはそんな画一的なものではない。シャーロック・ホームズ博物館とナイチンゲール博物館を見て回るうちにそう気づいた。いまのミュージアムが提供する伝説と事実の関係はもっと複雑だ。

 テート・ギャラリーでミレーの有名な「オフィーリア」を見た。ハムレットの名場面を描いた作品だ。同じ部屋にはアーサー王伝説を描いた「シャロットの乙女」があった。どちらも奥行きのある傑作だが、この二枚を見て唐突に実感したのは、昔の絵画の多くが伝説や物語のヴィジュアル化という役目を担っていたということだった。

 私たちは一枚の絵画の向こうに横たわる広大な伝説を無意識のうちに察し、感動する。それも絵画の優れた効用だろう。だが現代の私たちは、事実を知った上で改めて胸に迫る感動もあることを知っている。また伝説を伝説として楽しむ術も知っている。そのことを現代のミュージアムは訴えているような気がする。私たちはジェーン・グレンの絵を見て心を動かし、さらにその絵に隠された事実に興味を抱き、歴史を学ぶ。この「広がってゆく」感動こそ現代ミュージアムの特徴だ。時代と共に変化する伝説と事実の関係。そのうねりの中に飛び込めるから、いつでもミュージアムはスリリングなのだ。




今月の飛び込みミュージアム
The Natural History Museum
自然史博物館

 大英博物館とナショナル・ギャラリーだけがロンドンのミュージアムではない!
 サウス・ケンジントンに集中する3つの博物館(自然史博物館、ヴィクトリア&アルバート博物館、科学博物館)は絶対のお薦め。なかでも大英博物館の自然科学部門が独立してできた自然史博物館には脱帽。テラコッタを多用したルネッサンス調の建物に、斬新で現代的なデザインのディスプレイがこれでもかと続く。恐竜の化石が天井からダイナミックに吊り下げられているさまは鳥肌もの。また「地球ギャラリー」の入口には巨大な地球の模型が回転しており、観客はエスカレーターでその中心へと導かれる。地球物理の展示ではなんと阪神大震災の被害に遭ったコンビニをセットで再現、その中で実際の揺れが体験できるのだ!

 荘厳な建物とモダンな展示内容。この心地よいギャップにあなたもきっと虜になるはず。見て体験する楽しみが最大限に発揮された、世界最高峰のミュージアムだ。



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